2021年09月27日
つげ義春の写真について
<つげ義春の写真を見るということ>
つげ義春の写真はいったい何を表現しているのか。福島県・西山温泉付近で撮った「仮面を被った少女の写真1971年5月撮影」その写真にわたしは強く惹きつけられた。それは古本屋で写真集のコーナーにいって偶然見つけたものだった。「つげ義春の温泉」という書物だった。各地の温泉にいった日記で漫画と写真で構成された本だった。わたしは漫画より写真に強く興味をもった。この本を古本屋で入手したのは随分前の話で、そのまま放置していた。ところが芸術新潮2014年1月号につげ義春特集を本屋で見つけ、これも偶然店頭に置いてあったので購入した。さっそくページをめくり見ると、A4見開きで大きな写真が掲載されていた。それが「仮面を被った少女」の写真であった。
この写真はプロの写真家が撮った写真とは異質なもので、いかにもスナップ写真を撮りましたという着地点が見えるようなものではなく、かといって趣味で撮っているような写真でもない。つげ義春の写真には土門拳的なところもあるが、なるほど写真だなという強度、土門拳の写真には確かにそれがある。民俗学的なことろから見ると宮本常一的な写真もあり、非常に魅力的だ。しかしつげ義春の写真はそういう側面もあるが、それとは違った別の次元を写しだしている。個人的な眼差しであると同時に個人を超え、自然を写しだす「あるがまま」という非常に異なる側面を撮っている。
特につげ義春は1970年代によく旅をし、地方の風景やそこで生活している人々の写真を撮っていた。それを見るとじつにいい写真である。つげ義春がその場所で見ている風景と写し撮られた写真は彼の感覚と溶け合って不思議な空間となっている。つげ義春にとって写真は趣味以上のものがある。彼は趣味というかも知れないが、カメラに対する愛着は世界との窓口を見る光学器械である。事実彼は250台も所有していたと述べている。また漫画と写真との関係は深く、写真で撮った背景を漫画のなかに描いている。彼の写真をどのように見るか、直截的にみても十分魅力的である。つげ義春の写真は個性的であることを超え原風景がある。人々との関係性は遠い過去まで遡り懐かしさを感じる。この原風景の感覚は彼の身体を通して個の「かたち」として顕現化してくる。いまはそこにいなが、かつて人々が住んでいた声が微かに聞こえてくる。
なぜ彼の写真が強く惹きつけるのか。写真としての言表作用を漫画から読取ることが出来る。特に「つげ義春の温泉 /2003年」を見ると、写真と漫画が掲載されているので理解の糸口になる。漫画は断片の集合で一つの物語を形成するが、しかしつげ義春の漫画は非常にシュールなので意味不明の強度が感覚に突き刺さってくる。言語化するのが写真と同様不可能なところがある。とくに写真は視覚作用だけで、その説明がない。漫画は図像と言葉による相乗効果によって感覚を言語の力で顕現化することが可能となる。漫画によって感覚が言語化したものを今度は逆に、その言語化が写真を見るとき視覚的要素から意味作用が生じ分節化されてくる。つげ義春は、絵は見るものではなく読むものだという考えを批判的にみている。おそらく現代アートを見るには、それなりのスキルが必要だいう意見に反対して言ったのだろう。絵も音楽と同様に背景の知識などなくても感動するという。たしかにつげ義春のいうようにそうなのだろう。
彼の写真は意識内部にある現存在としての分節化されたものを解体し、無意識に存在している、しかも遠い過去、生まれる前の祖先的なものの風景が見えてくる。この風景の歴史性とそこに住んでいる人々の触覚的なものの懐かしさがある。風景とかつてそこに住んでいたひとの痕跡が溶け込んで霊的な空気が漂っている。日本の祖先は何処から来たのか、その地層を見せる日本的霊性がある。
特に西山温泉の「仮面を被った少女」の写真はどうしようもなく言語化したい。この欲求は随分前からあって写真論というよりは、ひとつの旅にでるような日本的地層に出逢った、あの懐かしさがある。それが何処から来ているのかその旅をしたい。彼の写真は存在論的な深さがあり、プロの写真家が撮ったものとは異質のものがある。それに強く惹かれ、言葉としてその写真を表現する行為が存在論的になる。しかしその存在論は西洋哲学的な概念とは違い俳句の世界になる。俳句と写真は「モノ」とわたしが一体的な感じがあるところが似ている。
但し写真の場合は、対象に向かいシャッターを押す一瞬の束の間「・・であるようなもの」であり、その指向対象性の平面を写し撮り印刷して見ると、また違った平面となって表現される。視覚的な二つの平面がある。しかも写真はカラーであるよりモノクロとして威力を発揮する要素がある。日常空間ではカラーの世界で溢れ生活している。なぜモノクロが写真の本質と深く関係しているのか答えるのは難しい。またそのどちらかを選択する場合、その判断は何処からやって来るのか。その本質的な問いをしていることになる。
2020年01月14日
回帰と起源
回帰と起源
物を見るということは、その歴史を見ていることになる。
意識生成のなかに見出された現在としての物は、過去の時空の
光が到達するまでの遅延された物を見ている。
物の起源は不在のまま現在の出来事として見ている。
それはある時点から立ち現れてくる過去の出来事である。
物の今を見るとはそのようにおもわれる。天体観測された
星のように光が到達する距離においてその物を見ている。
それは絶えず遅延されている。
微妙な物質さえ同じように遅延されている
その物質を見ている。意識生成される時間と
物との差異、言語空間は物そのものというよりは、
離反された位相空間である。
2017年09月27日
回帰と起源「事後性と写真の表現」−1

回帰と起源
視覚とは不思議なもので、いったい何を見ているのだろうか。写真に撮ればその空間の断片を写しとることは出来る。しかし夢のように何の脈絡もなく撮れた写真があるとしたら、判断できるだろうか。フロイトの夢判断のように、それを意味付けするためには言語化(分節化)しなければらない。つまり後から判断すること、ラカンはそこからフロイトの概念「事後性」の問題を見いだす。この「事後性」をラカン的に見るとすべての物事は「シニフィアンの優位」であると。つまり「シニフィアン」が「シニフィエ」を作るという事らしいが、そこで問題となるのは「シニフィエ」とは何であるのか、そのシニフィエを言語化しなければ意識の「かたち」として認識できないのではないか。すなわちこれを事後性という。そのように見るとシニフィエは無意味で解釈できない何ものか。これを解釈するのが「シニフィアン」であると、
これを記号に変換し意味作用の働きで意識に浮かび上がってくる。つまり分節化する。だとしてもその「根源-起源」は分からない。過去も未知であるし、未来も未知なるものである。これを言語化することの不可能性、それを観取する感覚の根源は何処からやって来るのか。起源は確かにあるはすだ。過去の時間的持続は無-時間の時間であるようにおもわれる。現在の視点は過去でもなく、未来でもない瞬時のあるもの。このように感じる。それを永遠という言葉で言っている。ベルクソン的には純粋持続なのであろう。デリダを学んでいる人はそれを差延として哲学的に感じとるかも知れない。しかしP-013の写真を撮ったわたしはこの写された意味するものを理解しているわけではない。
記憶とは感覚の強度としてしか言いようのない「もの」を言語化することである。しかしその強度とはかつて体験した「もの」の再現ではない。反復は確かに再現ではあるが、同一のものの再現はあり得ない。反復とは新たな強度を作るエクリチュール(クリエイティブ)なものなのである。クロソウスキー的にはファンタスムとシミュラークルの関係とも言える。シミュラークルは偽装、交換の媒体である言語によって反復を可能にし欲動を誘発する。
この考え方を写真に置き換えて、その被写体が何を語っているか、写された「もの」の起源は無限に理解不能な彼方からやって来る。微かな声を、その木霊をきいているがその姿は見えない。現実を確かに写し撮ってはいるが、見えるものの断片化された、たんなる空間の平面的複製である。しかし方向性を持つには、そこに何かを見いだす無意識の地層にあるもの(非-言語の歴史的地層)との出会いのうちに空間を感じとり、その一瞬を写し撮る。考えるより先に空間と心とが触れ合う。これも既に無意識の地層にあるものがその投影として空間を撮っているのかも知れない。鏡としての空間である。
またはその逆に空間が無意識の地層を気づかせる。両者は密接な関係にあるので撮ったものが、この内と外を明確に判断出きるわけではない。きわめて曖昧な希薄な膜を写し撮る。これは中平卓馬の「ブレやボケ」の「かたち」として身体表現の一部として、ついに写真の世界に現象学的なノエシス、ノエマを、その根源を追究していたのではないか。意識の生成のゾーンに踏み込む。こんな写真家は中平卓馬以外に考えられない。しかも最もカオスな社会の文化的テクストのなかで追究していた。
現実を写し撮る行為は詩的感性を必要としているので芸術とも言える。写されたものは現実にある「もの」ではあるが、別の意味に移行しシニフィアンの連鎖によって顕現化してくる。写真は現実の姿を見せるが、それとは別の物語を形成するメタファーでもあるわけです。見えないものをバルト的にいうとプンクトゥムの点を発見し、言語の媒介によって見えるものにする。しかしこの見えるものとは現実に写し撮られた「もの」のことではない。言語の介入により詩的となり、その起源を物語る。これをわたしは写真の「事後性」という。つまり物語りを作る。
現実的なストゥディウム的写真は社会的効果を狙ったプロバガンダとして利用される。個人的にはそれとは別のプンクトゥム的な見方もできるが、その見方ただと新聞の記事の写真は成立たなくなってしまう。国家としての政治的な方向付けをする写真である。フォトジャーナリストはそれを超え文明ー文化の係数をひたすら追い求めるひともいる。きわめて危険な場所に、戦場に行き写真をとる行為など。
写真はあまりに身近すぎるので風景の延長のように通りすぎてしまう。朝夕配達された新聞を見、そこに写真掲載されたものを見ても通り過ぎてしまう。辛い出来事の写真を見てもすぐ馴染んで麻痺してしまう。これはテレビも同じであるが、3・11の途轍もない巨大地震の出来事を何回か見ていると麻痺してくる。当事者はこの辛い出来事を一生忘れない記憶、あるいは現実空間として今も傷ついている。
写真家は方向性を明確にして、見る人に委ねる。この方向性を作品という。しかしこの方向性が無く、何の脈絡もない写真がもしあるとすると、人は果たしてその作品を見ることが出来るだろうか・・?という問いがある。しかし写真の方向性は誰が撮ろうとも必ずある。それは「もの」を写し出すからである。「もの」とは(人も含め)そこには歴史がある。歴史物、遺跡を撮るから過去と言うわけではない。「もの」とは現在を通してすでに歴史なのである。その意味で遺跡物も現在である。ベンヤミン的にいうとすでにそこにはアレゴリー的形象があり、煌く星座を一瞬のうちにして観取できるのである。
写真を見るとは「歴史-時間」を空間化する何ものかであり、しかもその起源は永遠に到達することない無-時間の過去である。彼方からやって来る過去であり、過去とは未来の出来事を写しだす現在でもあり、今も生成途上にあるフニィシアンの連鎖である。事後性とは後の意味付けであるが、これは起源の不可能性、到達することの無い過去、何処まで行っても消失点のない透視図法である。したがって思考において地図を作る。その形象はアレゴリー的な地図作成法である。ベンヤミンはアジェのパリの写真に何を見いだしたのか。その問いはアジェの写真を見ると伝わってくる。
わたしは写真に「もの」の「回帰と起源」を見ている。それは空間の断片を写真という機械で平面に定着させ、過去の無-時間性(迷路、不可能性)を固定化させる。しかし何をどのように固定化しているかは、説明することは出来ない。非常にシュールで街の移ろいやすい「もの」の変化率を、時間を空間化させた。永遠の時空の点を見せる物質的恍惚感があるとしか言いようが無い。写真をオントロジーとして見る場合「存在と時間」のような迷路に落ち込み、見える「もの」の見えない「もの」の形而上的な問いに必然的に向う。
写真は現在では多様な目的で使用されあらゆるメディアに、人文科学、自然科学、社会科学など総合的な科学の表現活動の一部としてきわめて重要な地位を占めている。写真論は人文科学的あるいは社会科学的な面をテーマとする言説が殆どですが、自然科学的な面では専門的な方法論を持っていないと論じることは難しい。しかし自然科学の写真を見ても美を感じることは出来る。電子顕微鏡の写真や天文写真など専門外でもその美しさを感じる。このように写真はあらゆる分野で利用されメディアとしての必需品である。
その意味でもし写真論を書こうとおもえば、多様性とボリウムがあり過ぎてとても難しいだろう。「写真とは何にか」などとても語り尽くせない。「回帰と起源」について少し論じることぐらいしか出来ない。過去とは何かその不思議な出来事、起源を感じているわたしにとってまさに事後性に過ぎない。どのような写真論でもターゲットを絞って論じることになるだろう。ある断片の情景をセレクトして言及する。一枚の写真あるいは数枚の写真を見てその意味作用を論じることになる。写真集ではその写真家の言葉が直接のることもあるが、その写された写真を論じているとは限らない。もっとずっと詩的な言葉で書かれていることもある。あるいは撮った状況のみで何の解説もしない。見ての通りと言うわけである。
中平卓馬のようにほとんど存在論的な、自己と他者の関係を探究するとアイデンティティとは何かその差異は何処からやってくるのか、風景と自己の生成とは一体何ものかというきわめて危険な接近を試みる。自己崩壊と風景の差異が無限大に接近する。この微分的要素は亀裂をピンボケに、最早情景を的確に写し撮ることでなく別の次元に移行している。植物図鑑であって動物図鑑、鉱物図鑑ではないもの。つまり空気を伝達する生命とは植物図鑑以外に考えられない。
静に生成する植物、この有機体生命は心を沈静化する精神に作用するアニミズムとしてではなく、中平卓馬は結局日本人は芭蕉に落ち着くということではなく、存在論的な「もの」と視覚の言語化への道を探究して行ったきわめて哲学的な写真家であると思える。対象と己との調和ではなく、その差異を無限に接近していく方法論をとった。このような写真家であるとわたしは思う。
束の間の一生を生きる微分的写真とは、その刹那を捉え己の生成は何処からやって来て、何処へ行こうとするのかその瞬間を撮る。しかしこの瞬間には永遠の過去と今、そして未来も含めすべての時間が一として顕現化してくる。多の無限の出来事を一瞬の裡に定着させる。歴史的な時間を空間化する。写真とはわたしにとって「回帰と起源」を最も表現することが可能なジャンルであると考えている。
2017年01月28日
SPANNER-235「その部分はすべてのものが含まれている」
MA-18/SPANNER-235
「部分と全体 / 切り取られた断片」
2016年11月16日
意味作用の消滅「対称-Xであるようなもの」

何を撮ろうとしたのか、
そこに意図はない。
池の水面に映る影、水草の枯れた姿、
秋からやがて冬を向える気配、微かに
見える緑の葉とのコントラストな色彩。
鴨をいっそう引立たすための背景でもない。
いったい何を撮ろうとしたのか、
言表行為の再領土化であるよなもの。
「・・・の意味作用から遠ざかるもの」
であるにしても、確かに見ている。
2016年11月13日
二つの要素と反復「奇妙な記号として差異生成してくる」

記号(カマキリ)の記号(カマキリの影)を見る。
この二つの要素と反復。カマキリを見ているのか
カマキリの影を見ているのか、それは分からない。
反復は奇妙な記号として差異生成してくる。
着地点が不在である。しかしそれが強度として
立ち顕れてくる。統一されたある感覚が生成してくる。
これをシュルレアリスムという。
サルバドール・ダリは:
最もリアルなものこそシュールであるという。
この意味において写真は常にシュールである
その要素を持っている。
2015年12月25日
都市考学「隠された者たち」

「隠された者たち」
そこに在る「者たち」は
すでに隠された声
球体のまま沈黙。
地球の影を模倣する
人類の道は遠近法の
思考で躓く。
それは始まりと終わりのない
円環運動のエナジーを
White Lineで標す
2014年12月23日
分部と全体「無数の外部世界を表象する」

分部と全体
分部とは何か、
見える「もの」と見えない「もの」
全体とは何か、
・・の間に起こるもの
「かたちつくられるもの」と、
「かたちつくるもの」
空間と時間は関係性の
秩序として現れる。
知覚の作用によって
無数の外部世界を表象する。
そこに留まることなく無限な移行、
すなわち時空の生成として
表現される現在、
それは過去を含むもの、
未来を孕むものの現在である。
2014年12月05日
スタンリー・キューブリックの空間「一点透視図法の構成とは」

「スタンリー・キューブリックの空間」
「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「2001年宇宙の旅」、「フルメタル・ジャケット」など一点透視図法の空間で無限に続く数列のようで、その始まりは何処か、消失点へと限りなく接近する。わたし達はその消失点に向かって始点移動するが、決して到達することのないエンドレスな空間をみる。始まりを見ることはできない。その消失点の先は遥か太古に向かって、まるでビックバンの宇宙の始まりを、その出来事が脳のなかでイメージされてくる。しかも前面の像を最大限の大きさで見る情景は、さらに未来に向かって無限にエクステンションされ、その像はついにはわたし達の脳のなかに侵入し、それ自らの物体(像)のなかに溶け込んでしまう。空間自体(画面の映像)が身体化される。驚くべき神秘的空間を映像のなかで体験する。
イメージが過去‐現在‐未来として同時に展開する時空は、スタンリー・キューブリック空間の世界である。特に「2001年 宇宙の旅」は驚嘆すべき作品である。その一点透視図法の前で演じられるドラマは、空間的構成との相乗効果によっていっそうスリリングな展開となる。消失点へと向かう眼差しは、無限の過去へ、ワームホールのなかへと、そして現前で展開される出来事は、無限の未来とへと向かう。この未来に向かうベクトルが消失点の始点へと、終わることのないこの円環運動の時空は、イメージの眩暈をともなう。スタンリー・キューブリックの空間は、現実と虚構の境界を運動する神秘の宇宙へと向かう。
「フィクションとしての写真」
そこでわたしは一点透視図法の構図を写真に撮って見ようとおもった。条件を満たす空間は、人工的な宇宙ステーションのなかで生活する人間の営みがイメージできる、文明を感じるその場所を探した。地下鉄の構内か、高層ビル群を考えた。一点透視図法としては、高層ビル群では空間が広すぎて適切な場所を見つけられなかった。地下鉄の構内は適していたが、空気の層を感じられなかった。空間に浮いている地球というイメージはえられなかった。太陽系に属する地球上に生存する人類を、わが宇宙船地球号を、スタンリー・キューブリック的な一点透視法の空間としてイメージできるこの駅ビルを選んだ。
天井が透明のプレートで空が見える。それを写真のネガのように反転させ、宇宙空間に浮かぶステーションとして処理した。右側の壁も窓の外に見える暗黒の宇宙空間のように処理し、一部カラーにした。モノクロ写真として処理すると、たんなる一点透視図法の構図で社会を反映した写真になり、つまらない。カラー写真にしても映像的な要素がでてこない。そこでわたしは撮った画像を処理し、映像の断片として物語的な要素として見る。そのイメージをつくる写真を、フィクションとしての写真をつくった。
2014年11月03日
鉄道レール「モナドロジー」-2

「モナドロジー」−2
見える「もの」をコピーするために撮る。つまり写真は、見える「もの」の見えない「もの」を見るために適したツールである。コピーは鏡のようなもので、実体に触れることはない。空気の層みたいなものである。レールはアレゴリー的思考を触発するものとして撮る。そのためには断片的特質(レールの形象)を正確に写し取らねばならない。
2014年10月24日
空間と物質「プラットホームにある長椅子」

灰色のコンクリートの床、その上に濃いブラウンに塗られた長椅子、
天上には4つの蛍光灯が取り付けてあった。壁は無造作に塗られた
白い壁、 静かだ。
「モナドロジー」−1
写真を撮ること、絵を描くことの行為は、現象的な存在要素を蒸留し、詩的言語の発生を促すもの。たえず変化する物質の時間的(歴史的)なものを空間化し、あれでもなく、これでもない「もの」を見ること。過去でもあり、現在でもあり、未来でもある。一瞬の永遠を・・全宇宙の「一にして多」、「多にして一」の渾然一体となった構造を探究する。
2014年10月15日
トリスタン・ツァラ「ダダは何も語っていない」−4

「無意味な模写」
・・ではdadaとは何か。
わたしは語ることが出来ない。
そんなことをしても無-dada
芸術的行為を非-芸術的行為だといっても
無-dada
だからわたしはトリスタン・ツァラの
「ダダ宣言」ページ73に掲載してある
数字をスケッチした。
これはわたしのタダの模写。
掲載画像(JJ-15)は以前鉛筆スケッチした数字に色をつけたものです。
上述した文はその記事の抜粋した部分です。ツァラはなぜか惹き付けるものがある。
『・・理性や約束事によって満たしえなかった全空間のなかに、空気の
要請によって導きいれられる純潔な一微生物なのだ、と』
この文は、「ダダ宣言」のなかの最後の章で「ダダについての講演」です。
これが終わりの文です。すべてを語っているようで、詩的イメージが喚起されてくる、
非常に魅力的な言葉だ。「空気の要請」というイメージからわたしは後に、
作品化している。「忘却の雲の下に隠されたもの」という作品です。
「ダダ宣言」著:トリスタン・ツァラ
訳:小海永二・鈴村和成
発行所:竹内書店(1970年)」参照
2014年10月13日
ヴィトゲンシュタインと荒川修作「あるいは天命反転について」

線(ワイヤーフレーム)の構成で反転
「X面」と「X'面」について(〜として見える/〜を見る)
しばらく眺めて見る。Xは上面で(垂直の視点)X’を底面として、X’は前面で(水平の視点)
Xを背面〜として見える。ひとつの図形(X面orX'面)が見えても、反転してしまう。
ヴィトゲンシュタインの「アヒル、ウサギ」についての論考を幾何学図形として画いて見る。
この反転を空間概念として構築する場合、どのような出来事が生じるのか、構造として考える。
ドアと窓は「内」と「外」の境界、「蝶番」は反転の力学的作用点である。行為は運動、
視覚は地図作成法の「外」と「内」の行為概念をもつ。脳には、空間定位の領野がある。
しかし「アヒル、ウサギ」はどうか。もし空間定位の領野が機能不全に陥ったら
どのように空間を意識するのか。あるいは意図的にその空間定位を操作した設計は、
どのようになるのか。すべてのものがblank(地図が)となり、つまり反転が起きる。
その先は、荒川修作の「建築する身体」にいくのではないか。「意味のメカニズム」から
実践へと建築設計に。すなわち行為概念の構築に命を賭けて思考していたのが、
荒川修作ではなかったか。特に芸大の講演は、まるで岡本太郎が憑依しているような、
情熱をもって語っていた。たぶん他でもそのような講演をしていたのだろう。