中原中也

2007年04月24日

中原中也「無限空間の窓とは身体である」-1

CD23-01E/CD23-01B/CD23-01C

無限空間2

 

 

「身体の窓」

中也が藁の上に
寝ていた。大気に融けている。
そこにアイオーンがやって来た。
こんな身体をもっている人は、
何処にいくのだろう。

 

 

 

「無限空間」

*1『・・ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。』

*2『・・見つかったぞ!---何がだ? ---永遠 太陽にとろけた海 』

この中也の詩の後にランボーの詩をわたしは想いうかべる。透き通った空間の窓をもった人、そういう美しい人がわたしは好きだ。神から火をもってこようとしたヴァン・ゴッホもいい。芸術にはなっていないものがある。ゴッホが雲を描くとき、いつもわたしはその激しさよりも、生まれる前のその静かな胎児をおもいうかべる。そこには隠されているゴッホがいる。

中原中也とは何者かわたしは知らない。詩を書いていた人であることはよく知っている。こんなにも無限を身体から感じたのは、舞踊家が天空と話しているときに観たそれを感じる。わたしはその身体自身が芸術となっている人が好きです。マックス・エルンストは作品と等価な彼自身の身体をいつも感じる。

こんなふうに身体をさらけ出して寝ている姿を観て、おもわず撮ったのだろう。詩を感じたのだ。わたしもこの写真を観て詩を感じた。あの無限から見放された人間の姿が再び帰る夢。中也はそれを見ていたのだろう。


CD23-01E/CD23-01B/CD23-01C:
画像掲載は詩の月刊誌で、その表紙にこの中原中也の写真が掲載されていた。わたしはこの写真を観て詩を感じたので描きとめておこうとおもった。言葉でより、スケッチにした方が感じたことをコンタクトできます。これは詩に接近できるわたしの方法です。それにしても「死せるキリスト」のようだ。

*1『』内は中原中也の詩”山羊の歌”の「いのちの声」より
最後の句を参照。この最後の言葉こそすべてという凄い
思考と行為だ。ただ驚くばかりだ。
*2『』内はランボーの詩、”地獄の季節” 錯乱兇茲衄歓
訳:栗津則雄参照



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