ジュール・ラフォルグ

2008年03月29日

ジュール・ラフォルグ「ステファーヌのオマージュ」−5

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覗く少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「大木の節穴から覗く少女」

 

「少女がこちら側を気にしながらちらちと見る
あの好奇心旺盛な年頃の少女たちを懐かしく
おもうのだ。

天使の顔と、秘めたるエロティシズムを
すでに隠しもっている。誘惑の顔を、そして残酷さも
備わった気質を、あの弱々しいおとこの子を
からかっている優しい少女をおもいうかべる。

やがてペルセウスに殺されることになる
従順な怪物にわがままをいうアンドロメダと、
この少女の相貌をおもいだすのだ。

未熟なステファーヌは、怪物の力はないけれど、
無垢な心をもっているのは同じ。

「本当は優しい少女で、
ステファーヌ・ヴァシリューが好きなのだ。」

その日は生徒監が転校生をつれて入ってきました。
彼はたったひとりでリセにこの6月に転入してきた
ステファーヌ、少女はひと目見たときから少年が
この寂しいリセの医務室で死ぬであろうことを
予感していました。

ステファーヌの愛は、幼児キリストの優しい母としての
マリアを望んでいたのだ。」

 

不可能な愛を希求すれば、そこに残るのは意志としての愛、形而上的なあの宿命的な生涯となってしまうでしょう。孤独と絶望そして絶対的な安らぎを拒否される残酷な生活。そこから広大無辺の宇宙的神秘像へと昇華してゆくポエジーが生まれてきます。官能と狂乱の乱舞する銀河系の無窮の世界にむかう。ノスタルジーが「地球のすすり泣き」となり、それを超え、無限の孤独が神への愛に変容する美しさは喩えようもなく輝いている。それは一つの煌めく星座が無数の輝く星々へと伝わりついには銀河となる。この比類ない美しさにわたしは惹かれる。そして「ペルセウスとアンドロメダ」のなかの怪物がメタモルフォーゼする光景をおもいうかべる。

愛を知らずに、また愛されもせず、見捨てられた孤独なこの美しい少年を、「ステファーヌ」をわたしは残酷な姿から救い出すため、聖母マリアを少女に変え、大木の節孔から覗かせたのだ。ステファーヌを見守る神として、”フランチア、フランチェスコ”の「聖母子、1649年」の顔を、大木のなかから覗く少女の顔としてコラージュしたのだ。この優しく描かれた母としてのマリヤ像がイメージとしてピッタリなのである。フランチェスコの描く明るい生命的な相貌が凄くいい。

このラフォルグの書いた小説「ステファーヌ」の結末は、神に己の身体を抱かれたいという、ラフォルグの願望が見えます。それはシスターの柔らかさ、温もりを感じたいという絶望のうちに死んでゆきます。そのドラマのなかで外の情景との対比も大変暗示的です。エンディングは次のようになっています。

『・・ひとりシスターだけが、蒼白の死せる少年の傍らにとどまっていた。二本の蝋燭の光りをともして、大きな尼頭巾(コルネット)をかぶった顔をうつむき、小声で祈りをつぶやきつづけていた。

可愛そうに、ステファーヌ・・・』

 

訳したひとの文が情緒的にならず、けっこう読みやすかった。これは難しい訳だとおもう。童話的にもならず、神話ふうでもない訳し方なので、わたしはすぐ入りこめた。この「ステファーヌ」の小説はラフォルグが21歳のときに書いたものです。

最初に書いた上記の文は、この小説を読んだわたしの感想文として妄想したものです。クラスのなかには必ず「ステファーヌ」を見守ってる少女がいるはずだ、という想定で書いたのです。ラフォルグの小説ではシスターが見抜いていましたね。しかし彼女は現実の女性ではなく、おそらく神なのでしょう。

本当に美しいものは目には見えない”姿”をしています。それを見破るひとがいる限りポエジーは存続します。あの「ペルセウスとアンドロメダ」にでてくる”怪物”が最も幸福になる資格があると、ラフォルグはいっています。しかしそれは最も自己犠牲を強いることでもある。愛とは、自らを失う生贄の意志なのでしょう。その意味でラフォルグは「伝説的な道徳劇」を書いたのでしょう。吉田健一の訳も素晴らしい。

 

ステファーヌ・ヴァシリューとは、ジュール・ラフォルグの小説
「ステファーヌ」という題の主人公の名前です。1881年作、
訳:志村信英、<発行所:森開社、1976年発行、>を参照

「ラフォルグ抄」の”伝説的な道徳劇”のなかの
「ぺルセウスとアンドロメダ」を指します。
訳:吉田健一、<発行所:小澤書店、発行1975年、>

「地球のすすり泣き」は「ラフォルグ全集機
訳:広田正敏、<発行所:創土社、発行1981年>

以上の三冊は限定本なので入手は難しいかも知れません。ラフォルグの好きな人は熱烈な愛好家なのですでにもっているとおもいますが、あえて参考に上げときました。わしはラフォグルが好きで挿絵を3点ほど描いています。デュシャンも挿絵を描いています。なぜ好きなのか、それは宇宙的なスケールをもっているからでしょう。

下記に掲載しています。
神話の構造−2「ジュール・ラフォルグ」
神話の構造−3「ジュール・ラフォルグ」
神話の構造−4「ジュール・ラフォルグ」



2006年09月12日

神話の構造「大気の精霊」ジュール・ラフォルグへー3

BH01-100GreA7/大気の精霊

泡のビーナス


 

 

 

 

 

 

 

 

 


・・・さあ、不毛のリトルネロ(反復演奏)よ、
人生は本物、
そして罪を背負うのさ。
----「カーテンを閉めては、
入ってこれるかしら?

貴方は去る、私たちをおいて、
私たちをおいて去っていく、
瑞々しい菩提樹の泉が枯れるのに、
そうよ!来ないあの人・・・」

いや来るさ!お前たちの心は騙されるだろう、

根拠を持たぬ試行のような悔恨に憑きまとわれ、
その滑稽なうぬぼれ心に宿るのは、見積り計算と
ぼろぎれの旗飾りをつけた平凡な暮らしぶり

死ぬのかい?持参金めあてに叔父さんの、
ズボン吊りでも刺繍しているだろう?

-----「違うわ!違うわ!どうぞわかってくださいな!
貴方は去る、私たちと別れ、私たちと別れ、
去っていく、でも貴方はすぐ戻ってきて
私の恋の病を治すでしょう? 」

そのとおり!放浪の葡萄酒たる「理想は」、
全ての女を彷徨させる、こんな裕福な街でさえも。
生活はそこにある。生命の雫の至純の器は
然るべくきれいな水で洗礼されることだろう。

やがてほどなく、娘たちは
もっと上手なリトルネロをするだろう。

「------ただ一つの枕!見飽きた部屋の壁!
貴方は去る、私たちをおいて、
私たちをおいて去ってゆく。
ミサではほんとうに死ぬおもいよ!
おお月日よ、白布よ、そして食事よ!」



『この詩はジュール・ラフォルグの「裕福な住宅街に響くピアノのなげきうた」の詩で、後半部を抜粋したものです。わたしはラフォルグが好きで特に天体の彼方に響く音楽的な要素と、虚無の身体性が無限に突き抜け星座へと導く永遠性のハモニーの奥深さに感動します。死と官能のなげきうたにはどこか身につまされるものがあります。わしの絵(大気の精霊)とは直接関係はありませんけれど、どこかで繋がっているよにもおもえます。』

 

ジュール・ラフォルグの挿絵は
下記にて掲載しています。
神話の構造ー3「ジュール・ラフォルグ」
神話の構造ー2「ジュール・ラフォルグ」

今回はマティス論ではなく、作者の都合でジュール・ラフォルグを取り上げました。引用は「ラフォルグ全集機∩賄攫辧Ч田正敏訳を参照」しました。 「有人彗星」管理人



2005年11月22日

神話の構造ー3 「ジュール・ラフォルグ」

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凡庸

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 
AK2204-RED:
「地球は空を飛ぶ、
ひとりぼっちの土塊のように・・」

どこにも火のぬくもりや暖かな寝床のない君たち、
果てしないすすり泣きを神に聞かせるでない、
ひとりぼっちで回る土塊の上に、みんないるのさ。

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2005年11月21日

神話の構造ー2 「ジュール・ラフォルグ」

AK2104B

天使たち

 

 


この壮大な神秘に
彼らは無頓着なのだ


 

 


・・・宇宙的な眩暈、永遠にお祭り騒ぎの大空!
なにひとつ、彼らは知ることはあるまい。しかも
どんなに多くの者が、自分の惑星を訪れもせず去ることか。

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