エドガー・アラン・ポー

2012年07月10日

人体の夜「ポーとマラルメ: Le Tombeau d'Edgar Poe」−4

GH109-01

星よ再びA

 

 

 

 

 

 






  

 

「*1地上に落ちた静寂の塊よ

すべての思考の終着駅は天体の原理に
行き着く。ポーの「ユリイカ」は、地上の
あらゆる苦悩を叡智に仕立て上げる。

この創造の原理は、あらゆる人々から
見捨てられ、その苦悩の宝石を暗黒の
底からでてきた永遠のイデーに変換し、
思考の星座へ導く。

わたしは落下した隕石に落ち葉を
添え鏡に映した。

「*2敵意に満ちた土と雲の、
おお、苦悩をもって!
」美の塊を
あの星座へと再び帰したい。

 

参照:
マラルメ詩集/訳:加藤美雄
発行/昭森社 1974 8.30
「注*1:page196の第4節、
 注*2:第3節」を引用

わたしは身体のデッサンをすると、深い闇の世界が見えはじめるのに、躊躇していた。しかしある法則が影のように付き纏っていることに気づきはじめた。物理的な現象を、物理に表現するとこはできない。ものそのものという表現は妄想でしかない。すでに汚染された思考の、あの社会機械のなかで身体は動いている。奇怪な鏡の宇宙を覗いているに過ぎない。この絶望の果てに、形而上的な宇宙の法則を思考せざるを得ないポーの詩に驚嘆する。

それ以来わたしは厳密に人工的な言語の鏡を、視覚化できる方法論を求めはじめた。それはマラルメであり、デュシャンということになる。それは思考の錬金術となり、物語をつくる神話への道に通じる。ポップアートから、現代のアニメ的なフィギュアをつくる行為に至るまで、すべて物語だ。ひとは物語を必要としている。日常的な出来事のなかにも物語はある。物語は高尚である必要はない。生きる力を与えるリトルネロとして見る。神話や物語を特別な出来事として見るのは、その研究を専門にしている学者たちだ。ウォーホルアートですら、神話であり、ひとつの物語だ。

 



2006年11月23日

時空のはじまり「Space-time forms」・4

D-130B2-A

SpacetimeB-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「Space-time Forms 4」
ソネット----沈黙

ある種の質---ある種の合成質が存在する。
それは二重の生をもち、その故にそれは
物質と光とから発生し固体と影とにおいて
具現化されるあの双子のような本質の典型を
なしている。二つの面を持った沈黙がある
---海と浜辺--- 肉体と霊魂。

草の新たに生い茂った淋しい場所に
棲んでいるものがある。神の恵みと 人の記憶と
涙に満ちた知識の力は それを恐ろしいものでは
なくしているのだが、その名前は「もはやない」
それは沈黙の化身だ こわがることはない!
その身に 邪悪な力をそなえていないのだから。

だが 何かさし迫った運命(時ならぬ因縁!)に
導かれてその影に(人跡未踏の荒涼の地をうろつ
きまわる名なしの精に)出くわすことになった場合は
神に 自らをゆだねるがよい!

 

ポー詩集「訳=入沢康夫」参照



2006年11月21日

時空のはじまり「Space-time forms」・2

D-160B4

Spacetime1

 

 













 

 

 

「Space-time Forms 2」
ユリイカ

『・・もうおわかりかと存じますが、私が「無限の空間」なる語句を用いても、不可能とわかり切った、絶対の無限なる観念を持って、と読者に御願いいたすのではございません。私の意味したのはたんに空間の「考え得る限りの最大の広がり」--動揺常なき想像力につれて、伸び縮みする、影のごとく揺れ動く領域、であります。・・』

 

ポオ全集3巻
エドガー・アラン・ポー:「ユリイカ、訳=牧野信一、小川和夫」参照



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