2014年12月05日

スタンリー・キューブリックの空間「一点透視図法の構成とは」

JJ-28-1 / Station

JJ-28-1_Station

































スタンリー・キューブリックの空間
「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「2001年宇宙の旅」、「フルメタル・ジャケット」など一点透視図法の空間で無限に続く数列のようで、その始まりは何処か、消失点へと限りなく接近する。わたし達はその消失点に向かって始点移動するが、決して到達することのないエンドレスな空間をみる。始まりを見ることはできない。その消失点の先は遥か太古に向かって、まるでビックバンの宇宙の始まりを、その出来事が脳のなかでイメージされてくる。しかも前面の像を最大限の大きさで見る情景は、さらに未来に向かって無限にエクステンションされ、その像はついにはわたし達の脳のなかに侵入し、それ自らの物体(像)のなかに溶け込んでしまう。空間自体(画面の映像)が身体化される。驚くべき神秘的空間を映像のなかで体験する。

イメージが過去‐現在‐未来として同時に展開する時空は、スタンリー・キューブリック空間の世界である。特に「2001年 宇宙の旅」は驚嘆すべき作品である。その一点透視図法の前で演じられるドラマは、空間的構成との相乗効果によっていっそうスリリングな展開となる。消失点へと向かう眼差しは、無限の過去へ、ワームホールのなかへと、そして現前で展開される出来事は、無限の未来とへと向かう。この未来に向かうベクトルが消失点の始点へと、終わることのないこの円環運動の時空は、イメージの眩暈をともなう。スタンリー・キューブリックの空間は、現実と虚構の境界を運動する神秘の宇宙へと向かう。

フィクションとしての写真
そこでわたしは一点透視図法の構図を写真に撮って見ようとおもった。条件を満たす空間は、人工的な宇宙ステーションのなかで生活する人間の営みがイメージできる、文明を感じるその場所を探した。地下鉄の構内か、高層ビル群を考えた。一点透視図法としては、高層ビル群では空間が広すぎて適切な場所を見つけられなかった。地下鉄の構内は適していたが、空気の層を感じられなかった。空間に浮いている地球というイメージはえられなかった。太陽系に属する地球上に生存する人類を、わが宇宙船地球号を、スタンリー・キューブリック的な一点透視法の空間としてイメージできるこの駅ビルを選んだ。

天井が透明のプレートで空が見える。それを写真のネガのように反転させ、宇宙空間に浮かぶステーションとして処理した。右側の壁も窓の外に見える暗黒の宇宙空間のように処理し、一部カラーにした。モノクロ写真として処理すると、たんなる一点透視図法の構図で社会を反映した写真になり、つまらない。カラー写真にしても映像的な要素がでてこない。そこでわたしは撮った画像を処理し、映像の断片として物語的な要素として見る。そのイメージをつくる写真を、フィクションとしての写真をつくった。




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