2014年09月29日

マネの絵画「アルジャントゥイユのタブローとは何か」

「アルジャントゥイユ」このタブローは「マネの絵画」論でフーコーがフォーマリズム的な解説で、構成要素のスケルトンを少し述べて、後は何も語っていない。最もフーコーのマネ論はバタイユのように文学的には論じていない。より構造的に論じている。それが非常にイメージの拡がりをもたせ、絵画の可能性を感じさせてくれる。バタイユのマネ論はボードレールが頻繁にでてきます。ボードレールの散文詩「パリの憂鬱」のなかに出てくるマネのことに関して書いている「紐」は、辛辣です。


JI-02マネ_アルジャントゥイユ



































JI−02
「アルジャントゥイユ」1874年
カンヴァスに油彩 149 x 115cm


フーコーの「アルジャントゥイユ」で論じているキータームは「戯れ=ゲーム」です。タブローが現実空間の印象をカンヴァスに定着させる行為でないことは、この絵を見ればわかるとおもいます。タブローそれ自体の自律性があります。現実空間との類似で絵を見ようとすると、どこか異次元の空間を感じてしまう。当時の人々は、この絵を見て背景の水の色は壁のように平面的に見え、評判がよくなかった。しかしこの表現こそ現代アートの概念がすでに含まれていたことがわかってきます。

エドゥアール・マネ(「鉄道」、「フォリー・ベルジェールのバー」その装置と現代アートとは」)-2・2

マネ論は「カテゴリ」から選択か、上記でも論じているのでそこをご覧下さい。



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