2011年09月28日

生と死「エロティシズム」−4

GF26-03Flower

Flower

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誘惑するものと、されるもの
それは対立するものではなく、
融合する熱。

胎内の母

誘惑の色、それはエロスの罠、
思考するペニスはそれを知らない。
糜爛の液状化を時空化する
エロティシズムは、消滅をめざす
思考の放蕩を用意する。

柔らかい軌跡は「髪のなかの半球」を、
ジャンヌ・デュヴァルの半球の深淵を泳ぐ。
それは「異邦人」の空を、途方もない
変わり者の受粉を夢見て。

「・・私は思い出を
食べているような気がする

というボードレールアレゴリーを、
その断片的に現れるエロス
魅惑の花よ

その光の影を受粉するために
わたしは深淵の罠に落ち込む。
夜と昼が同じミューズの姿であることを
わたしは知ってる。

同性愛者のミューズよ、同じ影の
光よ、胎内の母より生まれ出る
柔らかい穂先のミューズよ、
わたしはそれを愛しく思う。

 

「ボードレール パリの憂鬱
訳:渡辺邦彦
発行所:みすず書房」参照

わたしは「パリの憂鬱」の渡辺邦彦の訳が分かり易かったので購入しました。他の訳も見たけれど、どうもしっくり来なかった。そんな経緯があります。そのなかので、特に「17-髪のなかの半球」が好きでそのイメージを描いたものがあります。上記の(胎内の母)は詩的に書きましたが、描くためのデッサンとしての言葉です。余談ですがジョージア・オキーフはわたしにとって胎蔵界曼荼羅のような気もします。それにわたしは形而上的なイデー(理念)を加え、思考の到達地点が金剛界曼荼羅であると感じている。ところがそこから両性具有というイメージが出てくるのです。男性であると同時に、女性でもある。わたしは変身してミューズのなかに入り込む男性、あるいは男性のなかに入り込むミューズ、自在な変身を、同性愛と仮定して胎内の母のなかに書いたのです。円周のどこにも無い中心(胎内の母)。この無いが、空というところに往き付きます。そんな無窮(無限な時空)の世界を瞬時に顕現化させるためにダイアグラム化したのが曼荼羅のように感じます。その意味では、全てのアートは曼荼羅だともいえます。



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