2011年08月29日

ルネ・マグリットのイメージ「描かれたものと言葉(詩)」−1

GH28-03B1

Gasburner

 

 

GH28-03B1
Gasburner


 

 

 

 

ルネ・マグリットの謎

マグリットの絵を観ると、一瞬のうちに神秘的な感覚が形成されてきます。この原理で、もっとも単純な構造で人々を惑わす作品があります。「これはパイプではない」という図像言葉の作品です。このパイプと言葉の奇妙な関係は、相互に反発しているのか、それとも強い力で引き合っているのか、理解不能です。断言できない感覚の眩暈から出てくる大量のイメージ、鏡の乱反射、宙吊りの状態、混乱の秩序、間違いなく感覚が一瞬のうちに統一され、方向性をもって可視的な詩をもって現出してきます。

その詩的な作用、名づけ得ぬもの、言語と描かれたものを超えて感じてくる何ものか。そんな絵画を演じさせるマグリットの装置は、迷宮としかいいようがない。それは超現実(シュルレアリスム)というより、ある作用(叙述し得る)によって””を媒体とした新たな感覚時空)が形成されてくる。一つの身体の形成、新たな言語の誕生で、それは言語と視覚の相乗効果によって眼に見えるものと、そこに現ていない見える思考(詩-考)の誕生でもある。

思考は快楽や苦痛とまったく同じく眼に見えません。しかし絵画は一個の困難を介入させます。つまりものを見る思考、眼に見える形で叙述し得る思考というものがあるのです・・

マグリットは云う。この意味を徹底して追究していたのが荒川修作です。まさに「意味のメカニズム」である。言語は身体と離反したところのものでもなく、身体は言語と離反したものでもない。ではどういうことか?それは””あるいは”Blank”のなせるわざ、時空をつくること。どのような、今あるところのもの。荒川修作なら思考のランディング-サイトというかもしれない。しかしそれは、どこにおりたつ場なのか、それが迷宮なのである。

 

「これはパイプではない」
ミシェル・フーコー:著
(豊崎光一+清水正:訳)参照

上記画像GH28-03B1 Gasburner)は、パイプから炎が強く出ている状態を描いて、その右上に「A burner child
dreads the Fire
」と意味のない言葉(ことわざ)を書いた。直感的には何かのイメージがあります。しかしそれは、わたしにも分からない。ミシェル・フーコーの「これはパイプではない」、あるいは「ラス・メニーナス」など、読むとマグリットの絵がいっそう感じることができる、ということとは別問題です。言葉はとんどんリダクションしてくる。そんな構造をもっています。その構造を踏まえて、とんでもない言葉を使用すると”禅問答”のようになってしまう。これも一つの詩であると、わたしは解釈している。



トラックバックURL

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
Recent Entries