2010年02月10日

Robert Mapplethorpe「身体とその眼差し・・」−2

FB-01Bl1/身体の彼方へ

R・Mapplethorpeのオマージュ

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

ロバート・メイプルソープの痕跡
わたしはメイプルソープのSelf portraitを、光と影をフレームの
中に収めた。そこには、彼の身体は写てはいない。フレームの上
に、黄金色に輝く光をカーテンのように描き、その中は暗黒に溶け
込むブルーのカーテンにした。そしてその末端は暗黒へと吸い込ま
れている。「もはやないNevermore」というポーの「大鴉」の詩が
浮かんできたのだ。放蕩者への最後の言葉が、なんと残酷な、
虚無の響きを帯びているのだろうか。このフレームの中に
メイプルソープがSelf portrait、1988年」ガウンを着て、大きな
木製の椅子に座っている写真と、オーバーラップしてくるのだ。
彼の写真はシャープで眼差しを形式化する、古典彫刻のように。


そこでわたしは、古代ローマのイメージが喚起されるフレームを台に置き写真に撮った。さらに暗黒の空間を出すため画像(FB-01Bl1)処理し制作した。性への欲望はブラックホールに呑みこまれる狂気か、永遠の静寂に抱かれる死への逃走なのか、死とは永遠の窓口なのか。そんな瞬間を見せるメイプルソープの写真は、生の形を垣間見せてくれる。そしてわたしはメイプルソープの身体を暗黒の星座へと、やがて輝きだす星を暗示させるよう、フレームの左上に光の微粒子で飾った。微かに見える光として描いた。

メイプルソープのことは(「性と身体そして形式美」−1)でも掲載しています。前回ではそのベクトルの彼方とはどこか抽象的に描き、述べました。今回も重複していることろはありますが、メイプルソープはカオスの窓を観ていたのではないか。放蕩者の眼差しを描いて見ようとおもった。しかしメイプルソープのイメージを描き、書くことはかなり難しい。何しろ身体と思考がぴたりと寄り添った写真家なので、そのセルフポートレートはどの写真家もなし得なかった様態を見せる、その驚きはわたしを感動させた。事実、ロラン・バルトは青年のセルフポートレート(1975年、右腕を大きく水平にあげ、微笑んでいる半身像)ではもっとも美しいとさえ言っている。この写真は無邪気でほんとうに素晴らしい。若くしてこの世を去ってしまった。エイズにて死去、しかしその痕跡はいまも輝いている。



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