2008年02月02日

バタイユ「無神学大全”有罪者” 消尽したもの」−3

DB02-50_3

67950

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TITLE:「67950」or「消尽したもの

 

雷の不在
涙を流す水また水の永遠のひろがり
そしてわたしは哄笑する蝿
そしてわたしは切られた手首

わたしはシーツを濡らしてばかり
そしてわたしは過去だった
盲いの死んだ星であった

黄色の犬
奴はそこにいる
恐怖
卵みたいに吼えながら
手の不在の中に
おのれの心臓を吐きながら
わたしは泣き叫ぶ

天に向かってわたしは泣き叫ぶ
泣き叫んでいるのはわたしじゃないと
この引き裂く電撃の中で
死んでゆくのはわたしじゃない
それは星をちりばめた空だ
星をちりばめた空は泣き叫ぶ
星をちりばめた空は涙を流す

わたしは眠くてたまらない
そして世界はおのれを忘れる
わたしを太陽の中に埋葬しろ
わたしの愛を埋葬しろ
裸のままで 太陽の中にだ
わたしの接吻を埋葬しろ
それにわたしの白い涎もだ

 

無神学大全”有罪者”:G・バタイユ
出口裕弘訳:(上記詩篇は、笑いの聖性、鍵媚屐忙仮
発行所:現代思潮新社

 

今回でこの無神学大全、「有罪者」で全三冊を、わたしの感じたことを描いた。決して語ることはできない。「ニーチェについて」、「内的体験」から、最後に時間的な流れを考慮して、「有罪者」で天体の思考へと接続され、その矢が放たれたのだ。バタイユの書物が、無意味なものへ向かわす狂気を秘めている。それが素晴らしいのかは、わたしには判断できない。既知を超えた、非認識からやって来る判断不可能な地平へと追いやる。

即ち、接近することが、危険な思考を余儀なくされる生贄的な、己へと向かう刃物であることは確かである。その志向性がポエジーとなり、問いの真っ只中で、太陽に接近し過ぎて墜落するイカロスを想起する。わたしはそいうバタイユの思考を、帰還できない思考を、<その狂気には近づかない方がいい。>という理性の言葉を超え、それを黙らせるところからやって来る。それにしても既知的なものの集積では到底接近できないある一瞬があるのだ。わたしはそれをバタイユやアルトー的な深層ではなく、ウォーホル的表層の世界で感じるのだ。この平面は2重の世界をもつひとつの複素平面であるようにおもわれる。

・・このバタイユという毒を飲みこむことなしに、どうやって交感できるのか。わたしはそれを拒否するというよりは、別のルートを、言語の連続性の表層のなかで到達できない地層をわたしは歩く。より深層へと接近するのではなく、より表層へと渡り歩く、付着不可能なものへと向かう。そういう反転されたカオスも虚無に到達するあの宇宙があるのだ。焼尽する対象が不在の「非ー自然」の迷宮を求める。平行線は交わる。・・の先は同一の線へと合流する。

DB02-50_3:画像掲載は(バタイユ「無神学大全”ニーチェについて”」−1、「無神学大全”内的体験”」−2)に掲載した続きとして「無神学大全”有罪者”」−3を描いた。このー1、ー2、ー3でひとつの絵として描き、時間的な流れをもつよう作制した。



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