2008年01月22日

バタイユ「無神学大全”ニーチェについて” 過剰なもの」−1

DA21-03_1/DA21-03_1a

死を前にしての歓喜A死を前にしての歓喜B

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Time out of joints

 

そして私は呼ぶ
継ぎ目からはずれて
これは何だ
もう希望はない

私の心の中には
死んだような二十日鼠が一匹隠れている

二十日鼠は死につつある

鼠はおいつめられているのだ

そしてわたしの手の中では世界が死んでいる
古びた蝋燭が吹き消される
私が床に着く前に

病 世界の死
私は病だ
私は世界の死だ。

心の中には静けさ
突然の強風を受ける私のこめかみは
死のため激しく脈打って 世界へ攻めゆく合図を打ち鳴らす
すると星が黒くなって落ちてくる
私の立ちつくした骸骨の中へ

黒い
静けさ 私は攻め入ってゆく
黒い空へ 私の口は
黒い筆
壁に
黒い炎で書き綴る
墓穴のむなしい風が
私の頭の中でうなりを立てて吹いている

足音の途方もない静けさ
しゃっくりの静けさ
地面はどこのあるんだ 空はどこなんだ

そうして空が惑乱し
私は狂い出す

私は世界を惑乱させる 私は死につつあるのだ
私は世界を忘れ 世界を埋葬する
私の骨の墓穴の中へ

ああ不在者の しゃれこうべの
私の目

希望
ああ私の木馬よ
暗闇の中の巨人よ
一頭の木馬にまたがった
あの巨人
あれは私なのだ。

夜空
私の妹
呪われた者たち
星よ おまえは死だ
冷えきった光だ

雷の孤独
ついには人間の不在
私は記憶がなくなる
荒涼とした太陽が
名前を消す

星 私は星を見る
その静けさがこごえあがらせ
狼のような叫びをあげる
私は仰向けに地面に倒れる
星は私を殺し 私は星を見抜く。

ああ賽は投げられえた
墓穴の底から
妙なる夜の指の中へ

太陽の鳥たちの賽
酔った雲雀の跳躍
夜のなかから放たれた
矢のような私

ああ骨たちの透明さ
太陽に酔いしれる私の心は
夜の旗竿。

 

無神学大全/ニーチェについて:G・バタイユ
訳:酒井健(第三部日記よりその詩篇 )参照
発行所:現代思潮新社

 

わたしはバタイユの書物を無防備に読む。思考の無能力を身体の笑いで喜悦するわたしの過剰な反応を観る死。おもえば、あの死の不安神経症に陥った出来事を、喜ばしい出来事として今では死体のなかで飼いならされた生を見る。ぶんぶん飛び回る理性の気体を記述する哲学者たちの書物から離れ、このバタイユの残した「生贄の書物」をわたしは交感する。失速しそうになるわたしの心を支えてくれたのは癒しではなく、身体の傷跡を観る狂気に似た理性の背後に、あの過剰があるのだ。この見えない存在にわたしは啓示され、生かされているという何とも云えない死の力(フォース)に霊感を受けたのだ。癒しは分散させるだけで決して能動的ではない。

画像掲載(DA21-03_1/DA21-03_1a)は「死を前にしての歓喜の実践」に喚起され、わたしが黒インクでデッサンしたものであるが、今回バタイユの「無神学大全、第三部日記」よりその詩篇のためにあらためて描き直したもの。不安、恐怖はみな虚無からやってくる贈り物として、生の供犠として考えると、すべてがあの過剰なものへ、消尽する身体、天体の運動に参加する星座へと向かう。



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