2006年03月10日

アンリ・マティス「差異と現象」−2

『・・アンリ・マティスについて思考すると限りなくイメージが湧いてきます。わたしが哲学者か美学の専門家であるなら、一冊の書物を書きたくなるくらい魅力ある絵画である。それはマティスの絵画に表現されているものではなく、そこにないもの、意識の潜在性が作品を創るイメージの凄さのことです。既に確立されたマティスの美学のことを指しているのではありません。別次元から見た「新しいパラダイム」を意味しています。

すでにどこかの書物で論じられているかも知れません。そのことを語っている書物をわたしはまだ見ていません。マティスがゼザンヌの作品を所有して心のよりどころにしていたように、わたしもマティスの作品を心のなかに留めています。わたしは作品を創らねばならないので、技法にいたる思考が必然性をもって自然との関係を探求して作品化していきたい。物質と時間の変位を見るアートのようなもの。

その延長にあるものが、マティスの時間変位の重要性を作品からわたしなりに発見しました。それはマティスの思考を模写することなのです。キャンバスに塗り残された筆跡の関数と運動量の軌跡を残すその技法。その空間はひとつの論理的構造を導きだします。計算された構成と運動の軌跡は宇宙のカオスから導きだしたマティスの意識現象をわたしは観ています。

そのことをデュシャンはマティスに対して見事な洞察をもって、「意識の化学反応によって作品を完成させる技法」と、確かこのようなことを言っています。それは後期印象派やフォービスム、シュールレアリスムすらのり越えて現代科学の複雑系へと結びつく要素をもっていると感じている。そのことに関しては最後の章で書きます。まずはマティスがいかにカオスからその創造的原理を構築していったか、セザンヌを原典のように大切にしていたか根拠から語ります。何故マティスはシュールレアリスム的方向に決していかなかったか、何故ピカソはその傾向をもっているか、その哲学の違いは作品を見るとよく分かります。その違いを書くことによって「差異と現象」というマティスの本質が明確になります。

このシリーズは7回に渡ってかき進めます。もっとも哲学的になるのは「水浴をする人、1909年」の作品になります。この作品はほとんど解説されていないし、見過ごされている作品です。それだけ見方が難しいということです。他にも何点かあります。あのマティスのもっている装飾的な調和と美しさとはほど遠い作品があります。これこそマティスの哲学の深さを、論理的構造の凄さが潜んでいます。わたしはそこに焦点を合わせ書き進めます。

わたしはこの作品「水浴をする人」をベルグソンから多大な影響をうけ、新しい概念を創りだしたジル・ドゥルーズの哲学をかりて書きます。というのもわたしにとってマティスとは「差異と反復」の画家そのもと感じているからです。マティス自身徹底的にベルグソンの哲学を熟読し、それを生きた形ちとして絵画理論の根幹にしていると感じている。最後は色彩とかたちの同時進行「切りえ」の方法に到達します。身体的な不自由さからその技法に到達したというより、それは必然性があります。

これから書き進める内容は、マティスの評論の対象外にある作品を観てゆこうとおもいます。それは「新しいパラダイム」によって見えてくる世界です。マティス自身その作品につてはあまり語らない。後世にゆだねるというスタンスをとっているように感じます。まずはマティスの素晴らしい作品「音楽」、「ダンス」を別次元から入っていきます。それは”リトルネロ”「カオスとリトルネロ」−3」という概念で語ります。』

 



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