2014年06月
2014年06月07日
13個の石「名の無いもの/シニフィアンの純粋運動を探している」−1
FJ-04
名の無いもの達
「もの」を見ているとき、無名でありながら何か分節化されたもの(言葉)が意味形成してくる。言語の地層というものがある。わたしは石に触れている。「石の大きさ」と「文字の大きさ」を、その比率を考え記入している。文字色も石の明暗に合わせ、それぞれ変えている。どのアルファベットにするか石の形状に従う。わたしの意識は文字と石に促される。どの文字にするか、そのサイズを決めているのはわたしであるが、決定している境界はわからない。
視覚的に思考し、アルファベットの配列で言葉の意味作用を持たしてはいない。一段目は:TLM、2段目:YKC、3:段目IFB、4段目:KNHVである。しかし世界の国のなかでは、この単語の意味に該当するところがあるかも知れない。わたしにとっては意味を持たない。とはいえ、このアルファベットの(TLMYKCIFBKNHV)はわたしにとってはあるシニフィアンとしてのイメージはある。しかしシニフィエをもたない。イメージはあるが、意味を持たない。意味を持たないイメージがあるのか。
「それはいったい何であるのか」
石に触れる 石の配列 石の大きさ
文字の大きさ どのアルファベットがその石に
合うのか、文字色の明度は・・
わたしの意識はどのようにそれを決定しているのか知ることはできない。境界をもたないまま行為している。何を分節化しているのか不明である。しかも意志決定し、行為している。シニフィエをもたないものを、わたしはシニフィアンの純粋運動を探している。13個の石に促されて・・