2012年05月

2012年05月29日

印象派の絵画「シスレーの絵画とは空間(風景)が心のなかに溶け込んでいる」−1

HE27-01
HE27-02

春のちいさな草地

 

 

HE27-01
春の小さな草地
1881年頃
油彩 カンヴァス
54 x 73cmロンドン
テートギャラリー

 

 

 


レッスン

 


 

HE27-02
レッスン
1874年頃
油彩 カンヴァス
 41.3 x47cm個人蔵

 

 

 

 

 

シスレーの絵画はモネよりずと
自然を感じる”からだ”をもっている

シスレーとは印象派の画家というより近代科学の思考方法を感じさせない生の自然を見せる。自我(エゴ)あるいは自己(セルフ)の追求のない無-自己のものがある。わたしはそこを見ている。しかも風景のなかに出てくる人物はモネほど空虚さがない。またセザンヌほど自己の感覚を確認しようとする原理を追求してもいない。マネの絵画は沈黙の画家といわれるほと不思議な視点をもっている。空-無の身体、これに注目したのがバタイユであるが、モネの空虚さは哲学的な視点のないオブジェとして風景のなかに配置している。この空虚さもシスレーにはない。むしろ風景のなかに労働している人々を意識して描いている。静かな風景と日常的なささやかな出来事を描いてる。まさにもっとも地味で目立たない印象派であり、ゴーギャンゴッホのように西欧的な自我や自己を形成させる社会機械の作用を描いてはいない。それゆえ印象派では過小評価されていた。シスレー自身モネのように野心はなく、控え目な性質で経済的にも豊かではなかった。

近代合理主義と自然科学の発展とは無縁な風景のなかに心を溶け込ましていた。パリから離れ自然の風景を求め、晩年は20年近くモレ・シュル・ロワンなどセーヌ湖畔の小さな村を転々として描いていた。翻って現代美術を見ると、都市化された思考とその本質を見ようと自己を形成している無意識機械をやっきになって探している。異常に変形された”からだ”の崩壊寸前の顔貌性を描く、フランシス・ベーコンがいる。そして方や都市化さた思考のシミュラークルとしてのビジネスアートの帝王ウォーホルがいる。現代美術の教祖デュシャンは職業画家になったことは一度もないとも言っている。描くことより何かを身体化させたい、晩年のデュシャンは禅のような生き方さえ感じる。印象派の画家でデュシャンが最も評価している画家はスーラでしょう。「アニエールの水浴」の神秘的な深さは凄い。

さて驚くことに印象派のなかで過小評価されていたシスレーを認めていたのはフランシス・ピカビアではないのか。初期の作品を見るとそんな風に感じる。事実彼はモレを訪れ、その風景画(Sunlight on the Bank of the Loing River, Moret 1905年)を描いている。ピカビアテーマは空でしょう。シスレーのテーマも空。そこから展開してピカビア人工的な機械に変換してゆく思考は見事としかいいようがない。原点は””である。最後は宇宙圏まで飛んでゆく(La Terre est ronde 1951

このシスレーリアルには描いていない。あくまでも感じるままにその印象として描いている。からだと空が溶け込んだものとして現れる。この自然的な”からだ”は近代科学が置き去りにしてきたものだ。方法論として現代アートもこの科学的な見方を受けつでもいる。セザンヌ的な見方から現代に至るまでその”からだ”の見方は極端なほどバランスがわるい。都市化された思考とからだは、もはやシミュラークルの世界で踊る言表行為の視覚化が現代美術の世界になっている。ルイス・キャロルの戯画化でさえある。それにとどめを刺そうとしたアルトーがいる。あの「残酷劇」というやつだ。「器官なき身体」という概念でエゴとセルフをデリートしようとしている。そこに生成してくるものは何・・? どんなアートがあるのか。

ピカソのアート自我自己無明のように描いているし、無宗教的に感じる。マティスはそれを避けようともの凄く哲学的だ。西欧絵画の概念とはいったいなんだろう。マルセル・プルーストは、シスレーが描いたなかで教会は最も美しいとも言っている。存在感というものがそこにはある。シスレー晩年の作品「ラングランド湾、ストールの岩---朝」は存在感のある作品だ。しかしその存在感とは、消え往くものの時間的な現れとして感じる。まさに存在するとは印象なのだ。印象とは:実体がないからこそ存在するもので、その存在は実体がないからこそ物質的現象としてありえるのである。遠く離れた東洋の視線に結びつくものがある。その意味でシスレーは印象派そのもので、少しも過小評価すべきものではなく、むしろ人間としての原風景をもっている。また超越的でもない。

 

HE27-01:春の小さな草地---ビイ
風景の中央に立っている少女はシスレーの娘でジャンヌ・シスレー
であるとおもわれる。静かに祈っているようなポーズは胸を打つ
ものがある。

HE27-02:レッスン
ルヴジェンヌの近くにあるボォワザンの自宅で勉強してるシスレー
の2人の子供たちで、ピエールジャンヌです。静かな空間です。



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