2011年01月
2011年01月18日
2011年01月17日
生と死「死は考えるものではなく、やって来る」
GA02-mantis_2A
生と死
(何も無いということの
身体的な意味)
何ものかが突然やってくることがある。
シミュラークルの瓦解、
それに対応できない
理性の無能力、思考の停止
身体の無、(用意されている空白)
シミュラークルは文明の、
あるいは文化の形態から
派生した歴史的、時間的要素の
集合体。
それ自体で成立し、
対象があるわけではない。
「---ではアウラとは何か?」
それを喪失すること
・・によって成立つ言語の海。
強度の再現 身体の擬似的空間の
さらにそのまた擬似的空間の器官化。
それを悪循環というべきか、
喜ばしき快楽の拡大、対象の無限定が
身体をかたちつくる、空集合の総体。
反応しない身体をつくり、反応する
身体の空集合をたえずつりく続ける
摸像的身体の孵化。
こんなアートがあるとすれば、
石田徹也の奇怪な図像か、
村上隆のフィギュアだ。
ウォーホルのアートは表しかないから、
裏は死が添い寝している。
Nothingだけが観えてくる。
だからシミュラークルとは言えない。
(摸像していない) 死とは・・
表面に描かれた裏の無対象。
さて死とは以前として謎だ。
『バルド・トドゥル』の世界とは・・