2010年08月
2010年08月31日
カオスの関数「パウル・クレーの暗い夜道の贈り物」−4
FH26-01Red-Points
FH26-01Red
-Points
「パウル・クレーの
暗い夜道の贈り物」
暗い夜道の贈り物
未-言語の発生とは、語らない沈黙のことではない。
外部と内部の接続がいまだ無い、というところから
やって来る。それは空虚なものが、空虚なものへと
橋渡しする隙間からあらわれること。
カオスというイメージではパウル・クレーの作品が一番現実的に感じます。もちろんどのアートにもありますが、クレーの作品だけは特別です。マティスにもあります、デュシャンはそれを抽象化しています。ウォーホルは社会機械を、ある集合の性質を具体的に示し、絵画としての言表行為、その記号化です。反復行為による無反応をひき出します。それは散逸系のカオス、そのようなアートです。クレーのアートは生命、いま生きているというところの背後にカオスがものすごく観えるアートです。生命の比率を観るアートということです。まさに「The tightrope walker、1923年」です。すべてはバランス。わたしの作品「Red-Points」では有機的な関係は表現していません。・・・に、なろうとする詩の発生を促がすにとどめています。
2010年08月29日
カオスの関数「人体の夜、比率」−3
FH20-02black and red
「人体の夜、比率」
精神は観えないものを必要とする。窓に描かれた赤い思考。
それは遠のいた星々を黒いカーテンで蔽う。消える記憶。
沈黙の言葉が目を覚ます。赤い傷跡の印しは無秩序を模倣する。
ジャン・コクトーの詩には:
『立派な精神の持ち主の無秩序は、その人に、自分を
秩序立てたいという必死の思いを抱かせる。生来の
秩序には私は心を打たれない。それはアカデミズムだ。
これこそ、アカデミズムとクラシシズムの差である。』
と書いてある。”鳥刺しジャンの神秘”観えない光と暗黒の恐怖
は同じものからやってくる星々の顔、それはジャン・コクトー
参照、「鳥刺しジャンの神秘」
著者:ジャン・コクトー
訳:山上昌子/発行:求龍堂
2010年08月24日
カオスの関数「内部意識の比率」−2
FH22-01/比率
「内部意識の比率」
コンポジション
不安定なものが”かたち”つくられる運動は、
カオスと生命のそのバランスを観る比率。
つまり”つくられる”という内部意識の発生をともなう。
それは過去を、未来を、そのどちらでもない
現在の曖昧さが、フォルムをつくる。
押しだされた根源。
これは差異ではない
強度の線が散逸するのは他のものの比率の結果である。
しかしその内部意識で何が起きているか、観ることは
できない。それ自身は何も語らない。
エンドレスな出来事としての線
水平線、あるいは垂直線は、限界と無限のどちらにも属さない。
線分の概念は、端がないとしても数学の出来事、
ゲームのルールと同じように、直感は働く。
水平線の強度
上下の強度を誘発する境界、上のカオスと下の退化は
局所的な領土の再配分が行なわれている。すなわちカオスの
領土へ、上下の線の解体へと向かう。それはゴッホの
「青い空の下の麦畑」のように、空へと続く麦畑。境界線、
意志の限界、向こう側。・・尚それを観ている精神の秤。
2010年08月21日
カオスの関数「デュシャンの熱機関とウォーホルのHeat Deathなど」−1
FH08-01A
FH08-01A
「カオスの関数」
「カオスの関数」
温度と熱の概念について理解しょうとすると、たちどころに微積分の概念と関係式の理解を求められる。さらにSI系単位のジュール(エネルギー、仕事、熱量、電力量)の定義を知らなければならない。わたしが感覚的に理解しているのは、夏の暑い日に飲む冷たいビールの味である。この感覚はアートな世界です。熱力学的には外気温を考慮して夏のビールは5℃くらいが美味しい。これはわたしの感覚ですが、もっと冷えたビールが好きなひともいるでしょう。冷やす原理はカルノーサイクルの図表(圧力Pと体積Vの関係)を観ると分かりやすい。熱力学第二法則のエントロピーの概念は抽象的で掴みどころがない。そこでいっきに数式でとり扱うと観えてくる。つまり乱雑さを定量化することである。その概念を原子や分子のミクロの運動として捉えていたのがボルツマン(1844〜1906)でした。彼の墓に碑文として「S=k log W」と関係式が書かれています。その記号の意味は(Sは系のエントロピー、kはボルツマン定数、Wは系の無秩序さを測る量)です。この数学的な言語の意味は、アインシュタインの「E=mc^2」の関係式と同じくらい有名です。ミクロとマクロの宇宙を観る壮大なスケールをもっています。それはエントロピーという概念だったのです。それにしても熱エネルギー第二法則は、散逸系から観ると物理学なのだろうか・・
わたしはこのカオス(秩序と無秩序)というイメージを上述したように熱力学第二法則を数学的な言語を使って、これから説明するために述べたのではありません。デュシャンとウォーホルを物質の平面(プラン)として観るための方法です。それは美術論ではありません。なるべく日常的に使用している言葉を避けたい。作品を物質の平面として、熱力学の用語を機械的に用いて言葉をばらまいてみようとおもう。構成は意識に任せてしまう。そうすることによって言葉の変換が起きてくる。そのような言葉と言葉の熱移動のような新たな意識の発生を促がすもの。それによって内部のシミュラークルあるいはファンタスムが発生してくればいい。つまり意識にしろ、無意識にしろ”役立たず”のエントロピー、「レディ・メイド」として記述する。カオスが増大⇔減少する言葉とHeat Death、すなわち利用可能なエネルギーから利用不可能なものへと変化していく度合、生と死の比率を観る絵画、熱による仕事と死へと散逸していくた無数の原子、ガス状の銀河。意識内部の比率をだれが決めるのか、偶然性による尺度を見る、マラルメの詩など。あるいは荒川修作の比率アート(与えられた仕事、死と生との可逆サイクル)、デュシャンとウォーホルを第二法則的な用語などで書いてみるとおもしろそうだ。いわゆる「カオスの関数」など。
掲載画像(FH08-01A:「カオスの関数」)は、
生命と非-生命の度合いをイメージして描いた
図像です。ある状態、局所的な空間の変化、
「カオスの関数」というイメージです。
次回は「カオスの関数」−2でデュシャン、
ウォーホル、荒川修作などの作品を、
上述しましたように具体的に書く予定です。