2009年04月

2009年04月19日

デッサン「散文詩、ボードレール<寡婦たち>」−1

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裸婦_ED18

 

 

 

 

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寡婦たち

 

 

 

 

 

 

 

 

寡婦たち

このタイトルの絵は”パリの憂鬱”から取ったものです。ボードレールの詩はわたしを無価値にしてくる、”蕩尽”。そこから感じはじめないと、どうにもならない。現世の価値観を超えたところからやってくる光と影、官能と退廃、メランコリーとアレゴリー、こんなイメージが想起されてくる、それがわたしにとってのボードレールです。わたしのデッサンは視覚化でおわらず、言語(思考)が更にフォルムを加速させ、あるイメージを誘発してくれればいい。そんなふうにドローイングします。・・悲しさと苦労を背負った孤独な女性をときとして、その影が光となり無限に向かう、こんな姿をデッサンして観ると、「寡婦たち」というあのボードレールの散文詩”をおもいうかべます。



2009年04月05日

内在とノイズ-カオスの鏡「ダブル・サイレンスー沈黙の分身」の感想ー3

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内在とカオスCカオスの窓内在とカオスB

 

 

 

 

 

 

 

 

内在とノイズーカオスの鏡

わたしは勅使川原三郎の「ダブル・サイレンスー沈黙の分身」を観て、次回は更にバージョンアップしたものになるだろう。それはカオスと測りえるほどに投影された仮像の身体を、次元の移行、そのアンフラマンス(極薄)を顕現化させるその「からだ」の動きを、仕掛け、仕掛けられ、それに対応する「からだ」の変化率。・・純粋時間の結晶化をわたしは観たい。外と内の境界線へと接近した「からだ」の接線のようなものを・・それは強度が外在化し内の線が外の線となり、殆ど区別できない空気の層ができ相互の反応が異次元へ移行(アンフラマンス)する。差異によって生産される・・異なるものの同一性の反復、その平面を創る「からだの運動」、アイオーンの洗礼を受けながらつき進んだその「からだの結晶化」した時間(運動)を観たいとおもうのだ。それはある意味で強度の問題でもあり、シミュラークルの永遠回帰の身体化ともおもえるのだ。こんな姿の勅使川原三郎のダンスを観たい。



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