2009年02月

2009年02月27日

Georges Seurat/スーラ「アニエールの水浴その構造図」−3

機冒置の概要と見方

スーラの絵画「アニエールの水浴」は、第2回目ではその構図の骨組みを画きました。建築でいえば、全体を透視図的に軸組と梁の組合せの状態を画いたようなものです。その内部にどのような力が作用するのか、設計仕様書のように各特異点に作用するデータとその説明をしました。しかしこれは絵画ですので実際には数値ではなく、内包的な強度量の言葉に置換えなければなりません。わたしは、既存の見方とは違った見方をしてゆきます。内在を触発する基底にあるその構造を分析してゆきます。それは装置の仕組みということになります。設計され、配置した各オブジェクトが如何にある表象を想起させる構造となっているか検証します。それには従来のような見方はぜず、装置として観てゆきます。その仕組みを思考する絵画だという見方をします。この見方はデュシャン的です。スーラを別次元でものすごく評価していたのがデュシャンなのですから。スーラは網膜的な絵画ではない、といっているのです彼によれば、『シュルレアリスムやスーラ、モンドリアンのような特別の場合を除いて、印象派、フォーヴィスム、キュビスムから抽象芸術やオプティカルアートに至るまで、近代芸術は全部”網膜的”である。』と、これは驚くべき指摘です。その意味でも「アニエールの水浴」の構図論を書いているときは、いつも「大ガラス」の作品が念頭にあって、それと重なるところがあるようにおもいます。「大ガラス」の作品について知りたいかたは、著者:オクタビオ・パス/マルセル・デュシャン論がいいとおもいます。

 

アニエールの水浴構造図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








DIAGRAM
fig4:EB25-01Y1
アニエールの水浴

 

それは点描画家スーラではないのです。現代美術のブリジット・ライリーのような見方ではなく、彼女はスーラからの影響を認めている。網膜絵画そのものの純粋性へと発展していったが、デュシャンは観念の発生をスーラから読みとっていたとわたしは見ている。このようにスーラ絵画は様々な概念を孕んでいる。現代美術の殆どの要素がすでに用意されていたというわけです。観念の発生装置とは、対象の再現とその類比を見るものではありません。タブローそれ自体から生成してくる対象を観る装置(絵画)のことなのです。この装置を創ることにスーラは情熱をこめて思考していました。そのための多くのメモ(クロクトン)があり、 その特異点(内在と構造)を研究し、念入りに設計プランを構想してこの大作に反映したのです。

当時の人々は他の印象派の絵も観ていたのですが、「アニエールの水浴」はバランスが悪いという評判があったのです。特に上図fig:4の座っている少年(番号:1)が、バランスが悪いとおもえるようです。他の人物描写も何だか脱個性的な表現で機械的に感じるという人もいます。それは無理もありません。対象の再現をスーラは目指していません。他の印象派の画家のように移ろいやすい光や自然の変化を捉えて、たんに筆触分割で描いている絵ではないのです。しかしこれこそがスーラの本質を、その理念を設計図のように装置を構想し配置しているのです。思考を働かせてください。絵画は対象の再現ではないのです。自然界に存在しているものの類似や断言ではないのです。スーラはそこにはもういません。すでに別次元の世界に入っていたのです。フーコーの言葉をおもいだしてください。絵画はようやっと断言することから解放されたのです。タブローそれ自体のなかに、表象された背後に自律的な言表行為があるのです。それにスーラというとすぐに絵画を科学的に分析し、それを点描としての表現に一生涯捧げた画家であるという評価が強すぎ、固定されたレッテルを貼られてしまっている。確かにそうではあるが、その言説がシニフィアンの専制君主のようにシニフィエを隷属化している。その結果、思考が停止してしまう。さまざまな意見があっていいはずなのになぜか、そこに落ち着いてしまう。

わたしはその専制君主から離れ、スーラの内在をできるだけ観るように、その理念を追い求めたい。とくに「アニエールの水浴」は驚くほど画期的な概念を含んでいる。それは装置としての絵画、設計プランをメモ(クロクトン)しながら構想していく厳密さは、まさにデュシャンのメモ(グリーンボックス)をおもわせる。そこでわたしはこの偉大な画家の遺した大作を、その装置の背後にある厳密な幾何学的構成をダイアグラム化してみたのです。それは素晴らしいものであった。スーラの理念をなぞることによって、わたしは鑑賞ではなく、それに参加しカオスの断面を覗くこが出来たのではいか、すなわち:「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも、大ガラスの1915-1923>」からあの「(1)落ちる水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ遺作1946-1966>」というところへ行き着く旅への最初の出発が「アニエールの水浴」なのです。この5人の独身者たち(番号:1〜6)の脳裡に欲望する諸機械が発生し、そのベクトルがグランド・ジャット島(番号:)への視線に、ついにはその逃走線が天体の星座(番号:7e1、7e2)へと向かう壮大なスケールもった宇宙像の構想をもっていたのではないか。わたしはそのように妄想する。これはわたしにとってカオスの平面を体験し、内在を形成するひとつの襞となった。外の線から内在へとその構成が内部ではなく、内と外の接線をつくったということです。一にして多、多にして一の無限大の円環運動に意識を向かわせたそのベクトル構成がすなわち「アニエールの水浴」であり、その装置を創ったのがスーラだったというわけです。

 

アニエールの水浴
構造図 fig4:EB25-01Y1
各記号の説明とその原理

機棒睫世垢訌阿法
このダイアグラムの記号説明は前回に「幾何学的構造、fig3:EB03-01Y0」として全体をパース的に表現しました。それを基本に今回はより抽象化し方向ベクトル的に(視覚運動or移動)表示しました。ベクトルの大きさは無視して、その方向性を観てください。速度は、関係はあるとおもいますが、鑑賞者の瞬時の出来事なので直感で観てください。運動とは、「速度」と「方向」、「大きさ」が関係してきますので、これを言葉で説明するのは大変です。そこで直感的に理解しやすくするために図解として数学的なベクトル記号を使用したのです。さて前回(第2回)の緒言で述べたように重複箇所が多々あるとおもいますが、削除せず掲載しています。特に各記号の説明は、今回はより詳細に説明します。また前回(第2回)の「構図の概要」以下掲載を削除し、こちらへ移動(3回)しました。いずれスーラ論が終わり次第まとめて整理する予定です。第2回目の掲載は、全て削除する可能性があります。第3回目へ順次移行中です。気付いた点があれば、その都度追記修正してゆきます。

 

供帽戎泙粒詰
・・幾何学的な厳密性をもった内部構造の設計であり、建築でいう構造力学的なバランスをたもっている。外部(内部ではさまざまな運動が作用している)では静的な均衡のとれた美しいスーラのプランを観るのです。わたしたちはこのデザインを直感的に感じ、この何ともいえない魅力に捉えられて、深い感動を味わうのである。わたしはこのスーラの設計図を視覚化しようと、その構造を想定して作成した。

.1)  構図の記号説明
1:座っている少年、1a:その帽子、b:衣服、1c:
2:肘を首に当て横たわっている男、2a:その男の前に座っている茶色い毛の犬、2b:支点、2c:
3:赤い帽子を被った少年(川の中に入り、手を口に当てグランド・ジャット島に向けて声をかけている少年)
4:川の中に入って背中を見せている少年
5:麦わら帽子を被った少年
6:帽子と白い衣服、靴が大地に描かれている、そこにはいない。6a:
7:空の空間、7a:工場群、7b:煙突の煙、7e1:無限、7e2:無限
8:川のオブジェクト(船など、番号:8a、8b、8c
9:グランド・ジャット島

.2)C/G:とは
the center of gravity
の意味で、この「アニエールの水浴」を支えているpointのことです。それが全体(タブロー)を安定させ意識することのない重心ということです。「グランド・ジャット島の日曜日」ではタブローのセンターに配置された白い服を着た小さな子供(女の子)です。またセザンヌの「大水浴,1906」では川辺の向こう側に立っている小さな人です。C/Gは意図的に不在(不安定に作動させることもあります)にする場合もあります。鑑賞者にとっては不可視の構造で無意識機械を作動させ、バランスをとる装置の重心点ともいえる。

.3) 各セグメントの構成
a)Horizontal line:h1,
タブローの大きな分割の基本線(水平線)は、画面の3分の2の位置に、
b)*Incline_1(gradient):g1,画面右下を基点に(水平線に向かって)−27度の左肩上がりの勾配でダイナミックに線を走らせている。視線はそのラインを追っかけ(これは幾何学的な透視図(遠近法)を計算して、まさに視線を走らせます。)遠方の橋の方へと向かわせ、その−27度(153度)の斜線が水平線との交点(消失点)となっている。
c)*Incline_2(gradient):g2,帽子と白い衣服(番号:6)を基点に右肩上り勾配+70度、その線は麦わら帽子を被った少年(番号:5)へと走り、水平線と緑(番号:7d)の樹に交(消失点)わります。大きなパースはこの線と−27度の線そして水平線の3つの要素で構成されています。
d)Incline_3(gradient):g3,帽子(番号:1a)を基点に−40度(140度)左肩上り勾配で水平線との交点に(消失点)
e)Incline_4(gradient):g4,川の中に入って背中を見せている少年(番号:4)から−16度(164度)の左肩上がり勾配で水平線との交点に(消失点)
f)Vertical line:7d,斜線と水平線の交点(消失点)に垂直の線を配置。この線は緑の樹(画面左側)で表現している。

*Incline_1g1、*Incline_2g2)の線はこの構図の基底をなす最も重要な線です。この線の原理は一点消失遠近法で、各人物の配置はそのライン上に沿って描かれている。そして背景のa)Horizontal lineh1)とf)Vertical line(番号:7d)にぶつかる。その4つのセグメントの交点がこの遠近法の消失点(f)です。他、g3g4も同様に消失点()に向かいます。この遠近法によって鑑賞者の視線の移動が無意識に行なわれ、この絵のミクロとマクロの無限大の相互のベクトルがカオスの断面を現前化する。このことは後述に論じます。この装置にとって決定的に重要な基底をなす要素です。その作動原理を要旨だけ述べますと、この原理が視線の移動を作用させます。はじめに全体のタブローを観、次に前景の5人の人物へ移ります。そこから自動的にこの遠近法に則って背景のf)Vertical line(番号:7d)までいっきに視線はいき、その樹を観、工場の煙突の煙と空(この空は無限への入り口、あるいは窓かも知れません)へ、そして右のグランド・ジャット島の隅の樹々へと視線が移動(すべては一瞬の出来事で移動というより運動です。しかも超高速度で光の速度かも知れません)します。次にその下に描いてある男女のカップルが乗っているボートへ、そして再び川の中にいる2人(赤い帽子を被った少年と背中を見せている少年)に視線が移り、5人の男たちの全体を観ます。この大きな流れの基底をつくっているということです。つまりカオスの平面(プラン)を見せる壮大な装置なのです。如何にこの「アニエールの水浴」が厳密な幾何学構成によって観念を生成される装置であるか、その凄さを理解できるとおもいます。

.4) 各幾何学的な構成要素の全体の配置
上記の如く、水平線(h1)と垂直線(7d)に4つのセグメントg1、g2、g3、g4が消失点()に集まり、一点消失遠近法で画面全体の背景を基本的なものとして構成されている。つぎに(h1)の水平線の構成は橋と工場の屋根、それと両サイドの川岸である。その中央に空気遠近法で描かれた工場の煙突を配置し、そこから番号:7b)が出ている。他7本の煙突がかすかに見える。橋の右側へ更に進むと45度に傾いた樹にあたる。その右側の樹は球体として表現している。その下にヨットとジャット島へ行こうとしている渡り船を配置している。この橋の両側の樹々はちょうど劇場の幕を暗示している効果がある。その舞台前面では、5人の男たちがこの装置のなかで宇宙を形成している。

.5) 5人の男たちの幾何学的な配置とベクトル
円の中芯は帽子(番号:1a)である。その帽子の隣に中心核である少年番号:1)が座っている。他4人(番号:2〜5)の男たちはその少年を中心に円周に配置されている。そして円周の楔の要素として、画面左の隅に大地に衣服(番号:6)だけ残して描かれている。以上、不在者を含めると6人(5人+1人)の男たちで構成されている。デュシャン流にいうと5人の独身者たち(番号:1〜5、番号:6は不在者)、というところか


掘砲海料置の作動原理「全体のパースペクティブ」
可視的な構造の内部に不可視の運動が作用している。
つぎに、この装置は如何なる装置であるのか、その作動原理について論じる前に、各オブジェクトの構成員を観てゆきます。そのブロックは、両サイドの樹々、橋、工場群とその煙と空、川とボート、グランド・ジャット島、そして5人の男性(各構成は:.5に示した通り)たちである。各人物の姿勢は背中をターゲットに視線がいくように構成されている。その意味はグランド・ジャット島の眼差しと、反対方向(背中の表象)に作用する2重の不可視の構造があります。3人(番号:1,3,5)は側面の背中で、画面手前の人物(番号:2)は背面のすべてのプロポーションを見せている。川の中にいる少年(番号:4)は後ろ姿の背中のみ見える。これらの5人の人物は原子核(番号:1)と電子(番号:2,3,4,5、6<不在者>)のように見えない力が作用し、核の周りを4つの電子が角運動している。そのようなイメージを描いてください。

前述した2重の不可視の装置は何を表象しているのだろうか。そのベクトルを観てみましょう。川岸にいる前景の男たちはグランド・ジャット島を見ている。とくに赤い帽子を被った少年(番号:3)は口に手を当てて声をかけている。この少年の視線と身体的な行為は鑑賞者を自然にグランド・ジャット島の方に向かわせる。しかし画面に描かれているのは、そのグランド・ジャット島の隅にある樹々しか見えない。わたしたちは、この先端の少年によって右方向の見えないグランド・ジャット島を観ることになる。ここに仕掛けがあるのです。対象が不在でありながら、見える思考を形成させる作用が働くのです。当時のパリの人々はこの島がどんなところであるのか知っているのです。まさに遠方のボートに乗っている2人の男女のカップルがグランド・ジャット島に向かっているのが暗示され、いっそう効果的です。そこには当時の社会が濃縮されて反映されている。対象が不在であることによって、思考の裡に見えるかたちが描かれるのです。不可視のうちに、そのようなベクトルが(再-現前化の作用)当時のパリの社会機械を見ることになる。無意識機械が内部の感覚を生産するというわけです。

また、これだけに留まらず、こんどは背中の反射があるのです。その反力として別の作用が、そのベクトルが背中を基点に左方向に発生しているのである。ひとつの物体に同時に向きが反対の2つのベクトルが作用する。それはちょうど社会機械(グランド・ジャット島)と抽象機械(カオスの断面へと向かい、ついには天体の星座へ)を同時に見せる平面なのである。またその背中とは内在の象徴的表象でもあるわけです。このスーラの描く背中とは詩的な宇宙を表現しているともいえる。すなわち互いに向きの違う2つの方向性(ベクトル)は、相反するどころか、可視的に見える領土を脱領土化し、不可視のめくるめく体験を発生させる星座へと。すなわちカオスの断面を見せる平面(プラン)なのである。次に5人の男たちの配置が視点の移動(運動)を喚起する構造となっており、その角運動がミクロ物理学の内部を暗示する。その運動と連動して遠近法で描かれた逃走線ともいえる、.3)-b-c-eの通り視線が走り、空気遠近法で描かれた工場の煙へ視線がいき、更に遠景の深いブルーで塗られた空へと抜けていくのである。このミクロとマクロの無限大の往復運動によって鑑賞者は、静的でありながら不可視の内部運動によってイマージュが形成し、そのカオスの断面の平面(プラン)を観ることとなる。こうして厳密に設計された装置はひとつのダイアグラムであり、抽象機械が作動しているのである。この装置はやがてデュシャンの「大ガラス」の装置へと発展する概念をもっている。次に、デュシャン流にいうと5人の独身者たち(番号:1,2,3,4,5.6)の運動を具体的に観てみよう。

-1)この装置の作動原理
(5人の男たちの角速度、ミクロとマクロの相乗
効果)、地層化された大地と人=エネルギー、水、空→宇宙(無限)

視点の移動と差異(純粋時間の結晶化)そのDetailとは:
前述、論じたように5人の男たちとグランド・ジャット島、工場群とその煙そして空、これらの各ブロックが連接と離接の循環運動として作用し、且つ全体のパースペクティブをも形成している。これはたえずカオスの断面を平面化(プラン化)する無限運動でもある。その内部運動のDetailが、ミクロ物理学的な平面を構成している5人の独身者というわけである。そこで鑑賞者の視線が、どのようにこの5人の男たちに向けられていくのか、その視線の運動を観て見ましょう。スーラはこの視線の運動を作用させるために、厳密に幾何学的な構成を計算して配置している。上図/fig4:EB25-01Y1の通り、立っている帽子(番号:1a)を中芯に等距離上にそれぞれの男たち(肘を首に当て横たわっている男の臀部:2b、最後の帽子と白い衣服(番号:)を配置している。それは座っている少年(番号:1a)を核に、円軌道を周っている5個の電子のようでもある。うちひとりは不在者(番号:6)である。しかしスーラの絵では、5人の独身者たちは静に佇んでいる描写なのである。その絵からは、どこにも運動している表現としては描いていない。判断できないのである。この静かな存在こそ内部エネルギー(ポテンシャル)を作動させるものなのである。その仕掛けは幾何学構成と視点の移動を鑑賞者に促す無意識機械がこの装置のなかに仕込まれているのである。

その視線の運動は、最初にタブローの中心に座っている少年(番号:)を観て、次にその頭上に描かれた遠景の工場の煙に向かいます。鑑賞者はこのとき無意識にミクロとマクロの相互のベクトルを体験することとなる。これが全体のパースであり、そこから視線は各特異点のDetailに鑑賞者は向かいます。またそのように視線が向かうように設計されているというわけである。先ず座っている少年(番号:1)から横たわっている男(番号:2b)の白い壁のように配色した衣服の臀へと向かい茶色の犬(番号:2a)へ、そして黒い帽子へと視線は移動します。この三角形の運動からはじまり、そこから流れるように黒い帽子を基に中芯点:1a(帽子)を基軸に角運動が起こります。

その流れは黒い山高帽をかぶった男性(番号:)のその帽子から後ろ姿の広い肩へ、そしてなだらかな曲線をえがいた臀部(番号:2b<円環の支点でもあります)へと流れます。更に視線は男の黒いズボンへと進み、足元の靴に辿りつきます。白の上着と黒のズボンがいっそう流れの方向性をスムーズにさせています。(いったんこの流れがはじまりますと、座っている少年を核に、永久運動のような奇妙な感覚にとらわれます。非常にシュールな感覚です)この足元の靴は川へ向かわす導きてとなり、すぐに川の中にいる赤い帽子をかぶった少年(番号:)へ視線が向かいます。そして、少し離れたところの後ろ姿で水面を見ている少年(番号:)へと視線は連続的に運動します。いったんここで速度が減速し視線(運動は限りなく微小ではあるが作動している)はとまり、少年の背中を観ることになります。水面を見ている少年の眼差しと鑑賞者がその背中を見ている眼差しが2重映しになり、ひとつの内在を想起させます。それは少年が見ているものと、その少年の後ろ姿を観ている鑑賞者は何をイメージするかは、スーラはその対象を不在にする。一つの思考を発生させる、見えないものの、見える絵をつくるわけです。この構造は先述したのグランド・ジャット島の一部の樹を少しだけ描いただけで、まったくグランド・ジャット島を描いてない構造と同じです。そういう内部のベクトルを発生させる装置はこの「アニエールの水浴」の最大の魅力です。

まえに戻りましょう。いったん減速された遠景の川の中にいる後ろ姿の少年(番号:)にとどまり(内部運動のベクトルへ)、それと同時に運動はマクロの画面中央の工場の煙突の煙へと高速度で視線も行っているのである。この連接から離接への飛躍は宇宙像を暗示するものであり、見ることが出来ない沈黙となり、あるいは一瞬裸体の純粋時間を、花嫁を見たかもしれない。しかし再び視線は座っている少年(番号:1)の背中と付近の川の水面に視線はもどされる。そこから速度は定常となり、川岸へ向かい、丘へ上り麦わら帽を被った少年(番号:)へと視線が移ってゆく。そこで神秘的な不在者(番号:6)の電離したものの影を見ることになる。この円軌道の最後に楔的(番号:6)なものを配置し、弱い力の強い結びつきで、最初の山高帽を被った男性(番号:)へと再び向かい、この角運動を循環しているというわけである。このように円の軌跡を循環運動する構造となっている。

この厳密な幾何学構成がミクロとマクロの壮大なスケールを感覚のうちに体験し、見えない空間が見える空間化へと現前化させてゆく純粋時間の結晶化が、カオスの断面を平面化していきます。すなわち、「観念の発生装置」をスーラは創っていたということです。デュシャン流の言葉でいうと、印象派でありながらすでに網膜的絵画ではない、別のものを創っていたということです。この「アニエールの水浴」は非常に神秘的な作品です

 



2009年02月18日

スーラ「アニエールの水浴とは厳密な幾何学的構成による宇宙像である」−2

緒言
今回の掲載は、幾何学的な構成図を下図”fig3:EB03-01Y0”のとおり追加しました。わたしにとっては「デュシャン」と同じくらいこの「アニエールの水浴は神話的なのですこの作品は画期的な概念があります厳密に構成された装置なのですこの壮大なスケールをもったアニエールの水浴」に、その宇宙像にどこまで接近できるかわかりませんが、スーラの軌跡を追い求めていきます。そのきっかけは何回見てもある法則の基に触発させられ、未知なるものへとそのベクトルが作動するのです。こんな絵画を今までに見たことがない、あえて言えばデュシャンの大ガラス、1915-1923」でしょう。そこには何か原理があるに違いないとおもえようになったのです。またこの絵はたんに視覚からくる要素ばかりではなく、脳に直接振動を与えるカオスの平面が現前化してくるのです。この体験は神秘的で静寂な空間のなかに突然あらわれる原子の運動、あの宇宙の永遠性のようなもの・・それほどスケールの大きい作品なのです。後述そのことを論じますが、これはほんのさわりに過ぎません。その前にはじめてこのスーラ論を読む方は‘09・01・26付掲載をお読み下さい。スーラ絵画の代表作品を掲載しています。またその概念を要約して論じています概要を掴んだあと'09・02・27付掲載「アニエールの水浴その構造図ー3」を読むことをお奨めすます。詳細に論じています

 

アニエールの構図Y2

 

左fig3:EB03-01Y0
アニエールの水浴
幾何学的構造図

下左fig2:EB04_01
「5人の男たち、
1883」クロクトン
装置の構想と内在平面





5人の男たち

アニエールの水浴


下右fig1:EA22_3
「アニエールの水浴

1883−1884」

 

 



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