2008年08月

2008年08月25日

鏡の戯れ「結晶化してゆく時間、それは舞踏家の・・」−1

ED01-20b_3

反射の戯れ

 

 

 

ED01-20b_3
「鏡の戯れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

結晶化してゆく時間

身体の言語とは
放り出した身体を鏡で
空間化することである。

空間化された言語は
身体を不在にし、
2重映しにする。

「影の身体が言葉をもつこと。」

それはイメージが、
そのイメージを生み
折り畳んで形成される

・・しかしそれは時間をもたない
というより、過去と現在を
不能にする時間である。

この現在という時間を舞踏家は
綱渡りをする。

「そして時間をたえず結晶化してゆく。」

落ちたらおしまい。



2008年08月18日

顔貌性「多様な線・・逃走線と内在」−1

DF27-20red1/DF27-02gray_1C1

顔A顔B

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃走線と内在

わたしはそこから逃走する
否定されるからではない。

むしろ否定を肯定するために逃走する。
供犠の時間性であるような・・

その場所から移行せねばならない
空白の顔が変身する時間を待つ。

「変形を恐れる顔が現れる。」

自我の基底が崩れる。
立ちどまった顔貌性の線

呼吸を止め器官を・・身体の
言語を探す--がいまだ届かず。

思考の外へ、襞の影が
シミュラークルを探す。

 

波が砂の波形をつくる

前にいた影が2重映しになる。
暗黒を見ているから、器官が
圧しだされる、波が砂の波形を
つくる。砂は波を知っている。

それは無音の思考で、無数の線が
身体の無秩序に波形をのこす。
思考の萌芽がそこにはない。
虚無の身体がカオスを標す。

「出始めの儀式が始る」

かたちを変える波形であり、
いわゆる顔貌性の無数の線

それは暗闇の時間が始ることのない
最後の自我に終わりを告げる音・・
耳を澄ましてごらん、ほらそこに。

 

前回アルトーの自画像のことを書きました。その思考の基となったのが、この画像掲載(DF27-20red1/DF27-02gray_1C1)です。この絵は雑誌のなかにあった少年の顔が、いまにも崩れそうな恐怖と不安感のある顔に強くうたれた。その少年の視点はどこにあるのだろうか。不思議なインパクトがあった。そこでこの少年の顔のイメージを鉛筆スケッチし、アルトーの「器官なき身体」の線をこの少年の顔に仕立て上げた。しかし少年のイメージを描き追い続けていくうちに、その顔は段々と戦禍による空虚な深い悲しみの顔へと変貌していった。わたしはこの少年を社会機械の犠牲者にしたくなかったので、さらに描き続け、眼の視点を変え、暗黒の底部を見る視線であるより、遥か彼方を見すえる水平線を暗示する光となるよう描き直した。それが前回描いた「DF27-02gray1_2A:光る短剣と器官なき身体」です。



2008年08月11日

アントナン・アルトー「神の裁きと訣別するため・・の線」

DF27-02gray1_2A

アルトーの面影

 

 

 

DF27-02gray1_2A
光る短剣と
器官なき身体

 

 

 

 

 

 

光る短剣と器官なき身体

わたしは少年の顔を見て、たまらなくアルトーを
想起させたのだ。5才のときに脳脊髄膜炎を
患い、一生涯異様な頭痛に悩まされる、死の
深遠をすでに少年のなかに刻印された、あの
生を回収しようとする、凄まじい戦いを予感する
その顔に、既に少年でありながら、「神の裁きと
訣別するため」に光る短剣を頭脳にもっていた。

こんなふうに思わす一枚の写真にであった。
その写真がなぜアルトーを感じさせたのか、
わしには判らない。まだ少年なのだ。

わたしはアルトーが木炭でデッサンした一枚の
ポートレートに胸をうたれた。生まれたての
純粋な光りに包まれたアルトーの顔を見、
その星座が優しく包んでいるのだ。
彼は狂人ではない。

「ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者」

・・彼、アルトーは狂人ではない。
社会が精神異常者、狂人なのだ。
こんなふうにおもわすアルトーの
あまりに無防備なポートレートは、
わたしは、彼を痛ましくおもうのだ。

Selbstportrait WV2

一枚の写真、無邪気にも神から見放された
空虚な悲しさをその少年はもっていたのだ。
わたしは、この少年の額の上に十字架ではなく
光る短剣を描いた。そこにアルトーの描いた

Ohne Title WV45

・・を置いたのだ。この短剣は『器官なき身体』の
生と死を超えた新しい身体のイコンとして
わしたしは少年の額の上に描いた。そして白い
無数の線は思考の無能力を、首から下の太い
白い水平線を身体の内乱状態と「神経の秤」を、
その周りには暗黒のカオスを太いタッチで描いた。

地上の暗黒と天上の微かに見える光りを
暗示するよう、少年の頭の上に不可視の星々の
星座を、星の煌めきを数個の白い点で置いた。
わたしはバロック的な天と地、光りと暗黒を
少年のなかにアルトーを住まわせ、
仕立て上げた。

 

わたしはこの少年をアルトーの青年時代のセルフポートレート(WV2)に重ね、その眼差しをイメージし描いた。いったい何を見ているのか・・、そして額の上に光る短剣を置いた。この短剣(WV45)を透明な光として描いたのだ。画像掲載(DF27-02gray1_2A)は少年を描いているうちに、青年の相貌へと変容していった。というのもアルトーのポートレート(WV2)の眼には生れたての何かを凝視している無垢の眼球をしていたのだ。わたしはこれに捕らわれ、胸をうたれた。このような顔貌性は対社会からの限りなく逃走線を内に秘めた線をもっている。その多様な線をデッサンしたかった。それはアルトー以外にない。



2008年08月03日

人体の夜「外の線と内在」−2

FF06-09

黒い窓


 

 

「人体の夜」とは、

カオスの窓のことであり、
空間的な広がりを
感知する受送信の装置、
すなわち身体の力、
生命のことである。

 

 

 

 


それはマティスの
「コリウールのフランス窓」
のような開くと外が光ではなく、
暗黒。見えないものの
見える思考の・・光である。
まさしく人体の夜。

それは「Blank]という力を
意味するのかも知れない。
”Re-distributing”・・
荒川修作氏の言うように。



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