2006年09月

2006年09月29日

マティス絵画の論理「アルベルト・ジャコメッティ」の方へ

BI29-10Yel3

水浴をする人からJ1へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「水浴をする人、1909年」アンリ・マティス
よりそのイメージをスケッチ

わたしは前回マティスの「水浴をする人」でその論理的な構造を書きました。ジャコメッティとどのような接点をもっているか、セザンヌを通してどちらも生成変化を絵画の本質に置いていることを書きました。その中で「マティスの抽象機械」を4つのバリエーションで表現して前回画像掲載しました。今回は「水浴をする人」の構図をそのまま利用し、ジャコメッティへと接続される要素をイメージしてデッサン(画像BI29-10Yel3参照)してみました。驚くほどジャコメッティに近づいていきます。この構図は確かジャコメッティにもまるでそっくりなのがあります。これは偶然ではありません。両者ともセザンヌの方法論をとっていることからきています。

・・それは存立平面へと進み、宇宙的な存在論の彼方へと発展してゆきます。水浴から宇宙圏へといっきにイメージを飛躍させる構図となっています。前回そのことを書きました。重複しますが、一部抜粋してジャコメッティの部分のみ掲載します。全文は(アンリ・マティス絵画の論理と構造「水浴をする人」・1)を参照してください。

『・・更にジャコメッティはそれを先鋭化させ見事なデッサンをわたし達に見せてくれます。彫刻では、ついには物質が消えそうになるまで追い求める。極限値に近い形態を表現している。ジャコメッティの立像は不思議な空間を感じます。その物は現れようとしているのか、消えていこうといているのか、存在とは一体何者か。という「スフィンクス」の謎を感じます。この人物(水浴をする人)の形態をジャコメッティのスタイルで彫刻化すれば、そのまま立像として成立つ構成要素(構図)をもっている。空間の中に存立している人物像の不安定さこそ生成変化の真只中にいる「時間変位の量」として感じる「差異」そのものとして現働化する。』



2006年09月23日

マゾッホ「忍び寄る青い手」官能の誘惑

BI18-81Blue3

Blue270

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「忍び寄る青い手」

鏡に映た青い手が、忘れ去れた霊媒の官能の誘惑とは知らずに人は恐怖心の快楽を貪る。なにやらエロティックな誘惑を死の影と引き換えに身の危険を晒す。快楽の接近術は、自由の呼吸法をみにつまされて窒息死させるSMの行為を演じる。この背後に見ているという形而上学の精神を楽しむ思考が存在する。

恋する男女の結合法則のまえに、闘争と終焉の掟があることを忘れている。歓喜の後に、忘却された回廊が待ち受けている。生存の美を死者たちが白日の夢に魅される罠に陥れる。それゆえレオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホの「ドラゴミラ」や、聖母「マルドナ」という美しい女にはきよつけたほうがいい。

現実的にはいないのだが、思考が存立平面に向かわせる力を感じ、あの霊力が作用したとき、それは生理まで高まった極致、生贄の公理が思考を黙らせる。思考はその為にのみ存在する。ドラゴミラが言う、私に恋をしないでねと。

『・・私の進む道は、苦悩と苦痛を経て、言葉にならない懊悩、恐怖にみちた闇を経て、やがて光明にいたる道なの。その道を行きたいなんて言わないでね。』

もうお分かりでしょう。この後はなにも語るまい。

 

 

注)「ドラゴミラ(魂を漁る女)、同学社:訳、藤川芳朗」を参照。他にマゾッホの作品で「聖母」も出版されています。残酷ではあるけれど大変美しい作品です。画像掲載してあるものとマゾッホにでてくる美しい女性、「ドラゴミラ」や「マルドナ」をイメージしてください。誘惑という恐ろしくも美しい何かを感じるかも知れません。

マティス論は後、2回で終了予定です。 「有人彗星」管理人



2006年09月19日

マゾッホの「ドラゴミラ(魂を漁る女)」など

この記載は別ページに移りました。
下記のタイトルをクリックして下さい。

マゾッホ「ドラゴミラ(魂を漁る女)」官能の誘惑



2006年09月16日

マティスから現代へ「物資と記憶」−6

BI16-80Red3A

TheJungle

 

 

 

 

 

 

 







前回の風景と人物「ポートレートA(池の辺)」では内在平面を試みました。まだ明確に方向性がさだまってはいない。最終的には記号を生み出す記号であるような作品の方向性を考えてます。そのプロセスを掲載しました。今回はそのモチーフを使って現代の社会性を無意識機械をストレートにだしました。このタイトルは「The law of the Jungle, ジャングルの掟」とつけました。言葉がある喚起力をもち、絵に力をもたらす効果を考えねばならない。わたしはこのタイトルの言葉が気に入っている。

このように一つのモチーフでわたしは劇的に方向転換をします。わたしにはスタイルはありません。抽象的な思考を質料の構成によってスタイルを決めるのです。その意味でピカビアのスタイルは、わたしにとって理想でもあります。同じことの繰り返しのない、それでいて少しも抽象的エッセンスが変わらない思想の持主である。わたしもそうありたいものである。



2006年09月12日

神話の構造「大気の精霊」ジュール・ラフォルグへー3

BH01-100GreA7/大気の精霊

泡のビーナス


 

 

 

 

 

 

 

 

 


・・・さあ、不毛のリトルネロ(反復演奏)よ、
人生は本物、
そして罪を背負うのさ。
----「カーテンを閉めては、
入ってこれるかしら?

貴方は去る、私たちをおいて、
私たちをおいて去っていく、
瑞々しい菩提樹の泉が枯れるのに、
そうよ!来ないあの人・・・」

いや来るさ!お前たちの心は騙されるだろう、

根拠を持たぬ試行のような悔恨に憑きまとわれ、
その滑稽なうぬぼれ心に宿るのは、見積り計算と
ぼろぎれの旗飾りをつけた平凡な暮らしぶり

死ぬのかい?持参金めあてに叔父さんの、
ズボン吊りでも刺繍しているだろう?

-----「違うわ!違うわ!どうぞわかってくださいな!
貴方は去る、私たちと別れ、私たちと別れ、
去っていく、でも貴方はすぐ戻ってきて
私の恋の病を治すでしょう? 」

そのとおり!放浪の葡萄酒たる「理想は」、
全ての女を彷徨させる、こんな裕福な街でさえも。
生活はそこにある。生命の雫の至純の器は
然るべくきれいな水で洗礼されることだろう。

やがてほどなく、娘たちは
もっと上手なリトルネロをするだろう。

「------ただ一つの枕!見飽きた部屋の壁!
貴方は去る、私たちをおいて、
私たちをおいて去ってゆく。
ミサではほんとうに死ぬおもいよ!
おお月日よ、白布よ、そして食事よ!」



『この詩はジュール・ラフォルグの「裕福な住宅街に響くピアノのなげきうた」の詩で、後半部を抜粋したものです。わたしはラフォルグが好きで特に天体の彼方に響く音楽的な要素と、虚無の身体性が無限に突き抜け星座へと導く永遠性のハモニーの奥深さに感動します。死と官能のなげきうたにはどこか身につまされるものがあります。わしの絵(大気の精霊)とは直接関係はありませんけれど、どこかで繋がっているよにもおもえます。』

 

ジュール・ラフォルグの挿絵は
下記にて掲載しています。
神話の構造ー3「ジュール・ラフォルグ」
神話の構造ー2「ジュール・ラフォルグ」

今回はマティス論ではなく、作者の都合でジュール・ラフォルグを取り上げました。引用は「ラフォルグ全集機∩賄攫辧Ч田正敏訳を参照」しました。 「有人彗星」管理人



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