2006年01月
2006年01月18日
ウォーホルなど「現代美術の世界」その場所は−2
BA09-Black2B:「無題」
神の彼方へと
行かなければならない。
[......]私はいつたい
どこへ行くべきなのか?
神の彼方の砂漠へと私は
行かなければならない。
『わたしはウォーホルがスロヴァキアの移民の人であることは知っている。ミコヴァの素朴な田舎ではよく集いや教会に行くのが習慣であったらしい。彼がキリスト教信者であるかどうかは知らない。毎週教会に通っていた噂はあったのだが、真意のほどはわからない。本当らしいきもする。晩年1986年にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をシルクスクリーンで制作している。翌1987年死去する。できすぎた話だ。才能ある人はいつも運命を感じる。
自然科学の人ニュートンが神の存在や錬金術を生涯追究していたのも神秘的だ。C・Gユングが今日でも芸術家に多大な影響を与え続けているのはそれなりの理由がある。現代美術ではどうか、ウォーホルについて書くとき、いまさら分りきったことなど書かない。別の言葉に変えて学問的な美学論を書くようなことはしない。ウォーホルはわたしにとって「神は死んだ」というところからはじまる。わたしはジャンクフードを食べ過ぎて身体の変調と精神の失速に悩んできた人間だ。わたしの身体は砂漠で、その上を精神が砂のように飛んでゆく。
デュシャンはあらゆることを疑ったという、いかにも無神論者のように見える。カバンヌとのインタビューで神を信じますか」と聞かれたとき、デュシャンは激しい反応を惹き起こしたと、カバンヌは語っている。それまで彼は静かに答えていたのにその質問になると、「・・・それについて話したくもないのです・・」と言っている。心の動揺を敏感にカバンヌが感じとったのでしょう。あのデュシャンですら「神」という響きは強い。思考の中心にあったはずだ。どのような「神」であるのか知らないが、だぶん「神」というイメージが宇宙のメカニズムに対する畏敬の念がよぎったのだろう。
西洋人にとってキリスト教の歴史は「神」というイメージで何千年ものあいだ養われてきた。その感覚は体内の奥深くに滲みこんでいる。ジャック・デリダの「名を救う」ですら、「神」という観念を否定神学のように自問自答し、迷路のなかで詩作行為の言語の誕生のような声を微かに聴こうといている。不可能な問いと、現出を待ちうける言語に対する信頼性は不在のまま進む。超えられない「あるもの」に対する声を、実りのない不在の迷宮を、そこで救われるのか、放置された思考はいつまでも宙ぶらりんだ「名を除いて」。
この名のない事態(思考を超えたもの)は「美」や「芸術」である以前にそこに見え隠れする。この不可視の構造を追い求めるには勇気が必要だ。ときとして、これ以上接近してはならないもの、「神の領域」この地平を超えてしまた狂気の詩人ヘルダーリンや「牧神の午後」を踊った後、ニジンスキーは二度ともどることはなかった。狂気が人間性を保つ最後の表現であるとはあまりに悲劇的だ。おそらく狂気は「神」にたいする純粋な叫びなのだろう。ヴァン・ゴッホの真実は誰にもわからない。ただ作品をとおしてその軌跡を見るだけ。身体に刻んだ「神の痕跡」を。身体と精神の病がどこらやってくるのか、この根源を「アントナン・アルトー」はゴッホのことを『社会的な生贄の結果、自殺に追いやったこの文明』と言い・・この呪縛から解放するため「残酷」な演劇をとおして身体と精神の自由を獲得するめに立ち上がった。
今、この21世紀初頭ではすでに忘れ去られた身体の傷跡、これを埋め合わせるようにウォーホルは再び「死」の定義を消費という資本主義の快楽に楔をうった。「死」こそすべてという暗黒のブラックホールを見せてくれた。身体を空虚に満たしてくれたのだ。この空虚こそ身体を復活させる形而上学であり、死なないために他者を用意する消費の王国を、資本主義を、マネーを導きだすポテンシャルであることを見事にウォーホルは見せてくれた。身体を復活させることとは「死」で覆われた「軆」そのものを「0」として言語化すること。形而上的な「死」として再配分する身体のことである。そこにはいない身体。不在の影として、言語として取り扱う「もの」。そういう「もの」としての身体を復活させた。
そこに表現されたものは芸術的であったり、宗教的であったり、哲学的な「死」の深さの表現なんかではない。どこにでもある、どこにでもない「死」だ。芸能とスキャンダル、バイセクシャル、性と暴力、事故死、死の電気椅子など、内面の深さなんか関係ない、これこそが私たちの日常なのだ。ジャンクフードを食べ続ける目に見えぬ身体のレディ・メイドと、いつ精神が瓦解するか分からない「切れる死」。わたしはこれをウォーホルからどの芸術家よりも多くを学んだ。そしてアルトーとはウォーホルがもっとも近くにいる腹違いの親戚なのだ。その隣にフランシス・ベイコンが座っている。デュシャンは科学の錬金術とエロティシズムの天体に逃げ込む。
・・「神は死んだ」と狂気の哲学者が叫んだ後に87年間の経過を待つ間アルトーがその手助けをしていた。身体の錬金術師を、生を永遠にするための死を、あの残酷な叫びを演じていたアルトーがいた。どこにいるか分からない不在な影を「死は死んだ」と叫んでいるウォーホルが、「死」についに楔を打った。文明の病を芸術として永遠を叫ぶのではなく死を再び「0」にもどすために。天体に返したのだ。身体の傷を抵当にアルトーが実験した文明の残酷な死から蘇らせようとしたこの「永遠の生」さえウォーホルは放棄したのだ。希望も絶望もない、そこで死んだという物理的な死を不在な影として死を印刷する。繰り返し食べるキャンベルスープのように。
それこそが「死は死んだ」と消費する思考の王国アメリカ、この資本主義の最も進んだ都市の真っ只中で生き死んで逝ったウォーホルは記録していた。「死」を意識のなかに濃厚に表現した20世紀後半の新しいパラダイムの「死」を確立した人、20世紀後半のシャーマンだ。そして今は「神は死んだ」と叫んだ後に、87年間の年月を経ってウォーホルが受け継ぐ、「死は死んだ」とテイプレコーダをもつて機械の声で囁いている。蒼白な顔と銀髪の髪。
・・わたしは精神と身体をデジタル信号で変換する見えぬ記号の真っ只中にいる、このコンピュター、いまでは資本主義の1つの贈り物として誰でももっている。死ぬことのない「ネットワークの夜」をウオーホルならどのように表現するだろうか。意識は信号に呑みこまれ、信号のジャンクフードがわたしの身体のなかに贈り物として寄り添っている。死は忘却の彼方にいき、死ぬことができぬ故に、いまでは永遠の生もない。そこにあるのは「スーパーフラット」な死、残酷さは「死」を感じることができぬ故にますます増大している。アルトーは何処へいった。ウオーホルよ、死さえも死ねなくなってる。
あなたは突然1987年に暗黒の天体の彼方に去っていった。そして遺言のように残していった。私たちに必要なもの、それはキャンベルスープの作品のように繰り返すこと。同じような食事をして、いつまでも「死」は他者のまま流通機構のかなで機能する「快楽の資本主義」と「金融の王国」そして空虚な身体と死、このエンドレスな生活であること、表がないから裏もない。そこに哲学はない。そしてこの台詞:
『死ぬときはそこにいなから分からない』
と言ってそのとおり死んでいった。死は自分の「もの」ではなく病院の「もの」であり、自分に属さない。これほど「現代の文明、文化」をみごとに表現した人をわたしは知らない。他の芸術家達の情報量を遥かに凌駕する20世紀後半最大のアーチストである。そこにはすべて表現することのない厖大な大衆の表現が、消費が、哲学のない哲学がある。そしてウォーホルはこれらを「否定神学」のようなシャーマンで「非表現」する。エンパイアステート・ビルを時間で呑みこむブラックホールの神話を創った。
資本主義、マネー、そして身体と精神など、アルトーはこの身体と精神を抽出し、抽象的モデルを「残酷劇」という形に仕上げ素晴らしい未完の芸術にした。ウォーホルは「死」を言語としてとり上げた偉大な資本主義の最初の形而上学者となった。それは芸術を今日の死学に徹底的に仕上げる。そこに無駄はない。「死」に対する新しいパラダイムを確立した人、それがウオーホルだ。』
画像右の言葉は:「名を救う」ジャック・デリダ著作
訳:小林康夫・西山雄二、(発行:未來社)の一部を引用したもの。